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視座を拡張し自己と対峙する

TEXT by MOMOKA YAMAGUCHI

「発見をカタチに」をコンセプトに2014年から始まったfreepaperSTAR*は多くの方々にご協力をいただきながら、今年で16号を迎えました。毎号、時代の空気を詠み、発見と問いを投げかけるテーマを編集長の岡﨑さんが提示し、メンバーは思い思いにインタビューや作品制作をしながら自分なりの「STAR*」を模索しています。

今回はfreepaperSTAR*を創刊したSTAR*project編集長の岡﨑さんに「STAR*」誕生のお話と思いについてお話を伺いました。

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作品制作やインタビューは自己との対峙

Q.STAR*の始まりについて教えてください。

STAR*のはじまりは、私が大学を卒業して2年ほどが経ち、フリーランスで仕事を始めた時でした。
学生の時から、クリエイター同士の交流や作品を披露する場を作れないかと考えていて、当時も同級生や古い仲間と一緒に試行錯誤してきました。学んだ事を気軽に実験し繰り返す。大きなゴールを目指すより小さな目標を広く作り挑戦していくのが好きでした。そのせいで卒業制作や疎かにしてしまった事も多々ありますが・・笑

そんな中、母校の後輩や同級生も巻き込んで、何か地域に向けて発信するメディアが作れないかと思って始めたのがフリーペーパーSTAR*です。

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Q.最初のころのSTAR*は今のSTAR*となにか違いはありますか。

初期のSTAR*は「自己表現の場」というイメージでした。
あくまで新たな自分を発見する、新しい道を発見すると言うコンセプトだったので、参加するメンバーが思い思いに作りたいものを掲載していました。今程誌面に統一感は無かったですが、何も統一されていない感じがお互いの刺激にもなっていました。

ですが、活動を続けていくうちに人と触れ合う機会が増え、街での生業や自分の住んでいる地域を意識せざるを得なくなり、段々と作品を掲載する場とインタビューを掲載する場が混ざっていきました。

そこで、STAR*のコンセプトや制作体制も見直し、現在のような取材メインにシフトして「発見」の方向性が変わっていきました。

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Q.STAR*のコンセプトとして「発見」がキーワードになっていますが、「『発見』の方向性が変わった」というは具体的にどのような変化なのでしょうか。

今に至るまで「発見」の方向性の変化には3段階あったと僕は思っています。

まず前提として「STAR*」には「道しるべ」という意味があります。古来の旅人にとって星とは前に進むため、あるいは分岐点に戻るための道しるべだったのだと思います。そして道しるべを記すことで誰かを導き導かれることもできます。作品を作ることは自分の旅に道しるべを作るようなもので、だからSTAR*という名前になりました。この段階はまだ自分の中から表現を生み出す段階です。

次の段階として、自分の旅の先に誰かを見つけた時、その人の背中は自分の旅の道しるべになり得ると思いました。自分の目指す方向性を他の人がやっている、その姿を見つける事で旅の選択肢が増える。第一段階では自分の視座だけでしたが、今度は他の人の目を通して得た発見を自分の作品に再展開する「共創」の段階です。

現段階は言葉にしづらいのですが、自分のビジョンだけど自分のビジョンでない、他者を知っているからこそ「私たち」という視座でものを見た時の「自分」を表現する段階です。相手のストーリーに自分を憑依させ自分はどうなのかと考える事を表し、人の視座から自分を見た時に何を発見したか、つまり「他者の視座を得た自分による、自己との対峙」を目指しています。一つの視座だけでものを見ると狭い定義しかできず見えないものも多いですが、複数の視座を持つことで見える世界を形にしたいと思いました。

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「無い」ものを「見る」とき人には何が見えるのか

Q.お話を伺いながらこれまでのSTAR*を振り返ってみるとテーマのつけ方にも変化がありますね。最初は「春」「夏」「秋」「冬」でしたが、中盤は「マチの科学」や「記憶の図書」など抽象的でありつつ想像しやすい言葉を混ぜることで少し枠を限定している印象があります。最近は「空を詠む」や「積層」など枠も取っ払ったイメージがありますが、毎号のテーマはどのように決めてますか。

テーマはその時感じていることをテーマにしています。

序盤のころテーマを「春夏秋冬」にした理由は、自分が表現するものは春夏秋冬で違うなと思ったからです。春に作り始めたものを冬まで作り続けていても同じモチベーションでは作り続けられないと卒業制作の時に感じました。それならモチベーションを保つ期間を決めて出した方が、違う季節になった時違うモチベーションの自分が見直すことができますよね。また、1年間人に見せず作り続けるより季節に分けたアウトプットの方が見てもらう人も多くなるのでフィードバックも多くなります。編集長の自分がメンバーの制作に干渉せず「出す・載せた・配った」というシンプルな工程にすることで、メンバー自身がフィードバックを得て考えられる状態にしていました。

「記憶の図書」「マチの科学」では、今の自分のマチに対する見方や誰かの見方を出してみることで、フリーペーパーを読んだ第三者からフィードバックを得られるかと思い決めました。「科学」や「マチ」など普段耳にする言葉てイメージが制限されている印象があるんですよね。多くの人が考える「普通の」イメージからはずれることを恐れずに「こう見えた」と自分の見方をSTAR*を通して言えたら良いなと思っていました。

15号の「空を詠む」、16号の「積層」は、「無い」ものを「見る」とき人には何が見えるのかという実験でした。私たちはそこに「ある」からそれは「ある」と思う。なら逆に「ない」けど「ある」は構成できるのかと疑問に思ったんです。「これが『町』である」というはっきりとした形はないけど、人が「それは町なのだ」と感じるのは何か考えたかったんです。
社会には漠然とした不安が蔓延しています。
不安というのは、実体が見えないから起こるのではないか。それなら「見えない」ものを「見たら」不安にならないのではないか。だったら見てみよう、というのがこの2つのテーマの取り組みです。
この段階を私は「発想・創造フェーズ」だと思っていて、おそらくSTARをはじめた一週目(初期の自己表現の段階)に戻るのではないかと思います。初期は自分の中に作った枠を前提に表現していましたが、この枠を取っ払った先に別の何かが見えるのかもしれません。

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子供の頃から「一つの定義で事物は成り立たない」と思っていた岡﨑さん。同じ事物に対して自分と違う見方をする人がいることを認識し、その視座を取り入れることで自分一人では見えなかった社会の姿も見えるのではないかと話します。

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拡大と収縮の繰り返しこそが生き方であり、STAR*である。

Q.岡﨑さんにとってSTAR*とはどのようなものでしょうか。

インタビューは人の視座を借りて事物を見る絶好の機会だと思っています。例えば私は子供のころ祖父が話してくれる思い出話や未来の事が好きでよく聞いていたのですが、子供の自分とは違う大人の、もっと言うと祖父と言う一人の人間の視座に興味を持ちました。聞いた事を真っ白な自由帳に文字と絵で書き出し、絵本のようにして遊ぶのが好きでした。それを祖父を始め両親や友だちにも見せて反応や感想を聞いてまた新しい何かを作る。外で遊んで感じた事も図鑑や絵本で知った事も全て自分の中に取り込んで書き出すのが楽しかった記憶があります。
自分が感じている事と他者が感じている事の違いを意識したり、共有する経験を、小さな自分に教えてくれたのだと今では思っています。

自分の考えを持つというのは大事なことですが、自分だけでは事物の一面しか見ることができません。人の視座は事物を様々な角度から見るフレームのようなもので、それを取り入れることで一人の時よりも多角的に事物が見られるようになります。話をとおして知覚できる範囲が広がっていく。同級生の視座から地域の視座、土地の視座、時代の視座、そして自分の視座に戻り、そしてまた広がる、星の誕生のような拡大と収縮の繰り返しこそが自分の生き方なのだろうと思いますし、その延長が「STAR*」なのだと思います。

目には見えないが、「ある」ことで今の形をつなぎとめる「存在」

Q.STAR*は何かを達成する手段ではなく、生き方そのものである、ということでしょうか。

そうですね。特にSTAR*を使って人にどうなってほしいというものは私にはありません。ですが、何かを発信したとき「こうしましょう」とは違う「そうだよね」と言ってくれる人がいる。それが多くなると結果社会は変わっていくし、そのつながりが違う人とのつながりを産んでいくのだと思います。

ですが、知覚できないとつながりも、共感してくれる人も、社会を構成しているものも見ることはできません。「見えないから無いのだ」と思ってしまえば簡単かもしれませんが、私はSTAR*を通して「見えないけど今の私たちや社会を形作っているもの」を知覚し、形にしていけたら良いなと思います。そして、私自身も「ない」けどそれがないと今の形をつなぎ留められない、そのような存在になれたらと思います。

手法は多角的な視座を使った収縮と拡張。ですがやっていることは、視座を広げてできたものは全体を構成する小さな砂粒にまとめられました、という感じです。どこまで視野を広げて事物を見ても事物そのものは世界を構成するほんの砂粒程度でしかなくて、その「世界」というものも誰かの世界の中の砂粒でしかない。そしてその人も誰かの世界の砂粒でしかない。これを逆方向に考えていくと、視座を広げて出来たものは実は純度の高い砂粒、ということになるんです。そうやって最強の砂粒を作る。終わりが無いけど終わらないからこそ一生続けられるのだと私は思います。

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PROFILE / RYOTARO OKAZAKI
岡﨑 遼太朗(オカザキ リョウタロウ)
デザイナー LAID-BACK DESIGN
倉敷芸術科学大学非常勤講師
フリーペーパー STAR*project 代表
1988年高知県出身
2011年倉敷芸術科学大学芸術学部 映像デザイン学科(現メディア映像学科)卒業 (13 期)
2012年フリーデザイナーとして活動
2013年倉敷芸術科学大学非常勤講師

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