美しさを刀身に込める
TEXT BY MOMOKA YAMAGUCHI
PHOTO BY SORA ARIZUKA
※フリーペーパーSTAR*18号掲載記事より
冨岡 慶一郎(とみおか けいいちろう)さんは、刀匠名「慶正」として総社で刀鍛冶をされています。2020年度には現代刀職展作刀の部で優秀賞・新人賞を受賞されました。そんな冨岡さんに刀鍛冶と伝統文化についてお話を伺いました。
経験が刻まれることで無駄がとれ
磨かれていく所作
子供の頃からものづくりが好きで、刀にも憧れがありました。大学卒業後の進路もデザイナーか、刀鍛冶か、教員かで悩みましたが、刀鍛冶の先生から「刀鍛冶は10年ぐらい経たないと一人前になれるかも分からない」と言われ、まずはデザイナーでいこうと、IT系の会社に就職しました。
最初は制作側だったのでやりがいがありましたが、後輩が増えるにつれて管理の仕事が多くなり自分の手で作っている感覚が薄くなっていき「このままでいいのか」と思うようになりました。そして30歳で思いあたり、師匠を探し、宮崎県で出会った師匠とフィーリングがあって受け入れていただいたため、そこから修業を始めました。
師匠によって違いますが、私の師匠は手取り足取りというよりは、仕事を見せて弟子に同じことをやらせて指摘をする、というかたちでした。
1~2年めは雑用をしつつ、師匠の所作を真似しながら学びます。「先生がどういう手順でしているか」「道具の位置は?」「何を気にしているのか」目に映る情報から意図を読み取り、自分のものにできないと刀鍛冶にはなれません。
効率性という点で、刀づくりとデザインは近いものがあると思います。どのような刀を作るか、作るためにどのような工程があるか、どのような材料が良いか、柔らかい鉄か固い鉄か。鉄の組織は目で見えないので、あらかじめ考えておかないと刀は折れて失敗します。
刀には人の見てきた景色が現れる
その点も、私はデザインと一緒かもしれません。デザインは要望を聞いたらサンプルを見せたりしますよね。刀も同じく、まずはサンプルを見せてイメージを固めます。刀の歴史は1000年続いてるからサンプルもいっぱいあるので、刀の写真や押型を手本に倣いや写しをすることもあります。一方で自分の感性で作ることもあります。
倣うだけでは美しいものはできず、同じものはできません。何らかの形で手の癖か感覚かが刀に反映されていきます。それは日々何を見ているか、刺激を受けているかがちょこっとずつ入っていくということのかなと思います。
例えば刃文です。刃文にもリズムがあって、単調だとつまらない。そこに山の稜線のリズムを取り入れてみると、自然のリズムだから刃文が気持ちの良いものになるんです。岡山県は山の形が刃文にでているものが多いですし、波や海を刀身に描く人もいますね。
昔から日本では時間と手間暇をかけて滲み出る素材の美しさを楽しむ感覚があり、それが文化として残っています。岡山では刀剣文化が残っており資料も実物もあります。自分たちの土地の文化の一つという意識があることで、刀剣を見よう、買おう、私たち刀鍛冶を応援しようと思ってくれる人がいる。だからこそ自分が美しいとするものを刀剣に残すことができ、文化として継承していくことができるのだと思います。
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「刻まれた記憶」は、形あるものだけでなく人の所作にも現れる。誰かの培ってきた経験や技術を吸収し、自分の経験と知識を合わせることで、新たな記憶が刻まれ、文化は層のように折り重なっていくのだと私は感じました。
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