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「モンテロッソとピンクの壁」が伝える生き甲斐と自由とは?

TEXT by MOMOKA YAMAGUCHI

江國香織(著)/ 荒井良二(絵)
「モンテロッソとピンクの壁」あらすじ

 うす茶色の毛並みをした猫・ハスカップは楽天的な性格。港のそばの西洋館で婦人と暮らしていた。彼女はいつでも寝ているので周囲の人間から怠惰な猫と思われていたが、寝る度に「ピンクの壁の夢」を見ては、「行かなくちゃ」という強い思いに駆られていた。
 ある日、夢の中の住人に「ピンクの壁はモンテロッソにある」と教えてもらった彼女は住み慣れたまちと婦人のもとを離れ、モンテロッソへ旅に出る。

 「私はモンテロッソにいかなくちゃ。何かを手に入れるためには何かを諦めなきゃいけないことくらい、私はよく知っている」

 そして長い旅の果て、ついにモンテロッソのピンクの壁に辿り着く。
「やっぱり、ここが私の居場所なんだわ」
 彼女はピンクの壁の前で眠り続け、夢と現実の区別がなくなり、とうとうピンクの壁のうす茶色い染みになった。

自由とは喪失の痛みともに生きるということ

 ライオンの群れの中で生きる私には、迷い無くモンテロッソに向けて歩く彼女の姿は輝いて見えるが、彼女のなりふり構わないモンテロッソのピンクの壁への強い思いは狂気にも見える。
 夢で「モンテロッソ」の名を聞いた時から彼女はモンテロッソのピンクの壁に囚われてしまった。
 彼女は安住の地と婦人のもとを離れ、自由を選び取った。その道のりは遠く険しかったがここまで歩いてこれたのは、自由を得るために手放した代償と責任を自覚しているからだ。
 自由とは、自分で選び、選択によって失われた代償と起こった結果に責任を持つということなのだ。

ハスカップにとっての「ライオン」とは何か

 ハスカップは旅の途中でライオンに会うことを恐れていた。ライオンに出会ってしまえば彼らの魅力に対抗できず仲間になってしまい、旅が出来なくなってしまうからだ。
 では彼女にとっての「ライオン」とは何か。文中でハスカップは、「昔から自分はライオン向きだ」と言っていた。 この話から考えるとハスカップとライオンは根本的には同質と言える。しかし、ライオンは群れで暮らす生き物、みなが一つの獲物(目標)を共有し、支え合い独自の社会を築いている。もしハスカップがライオンの群れに出会い、仲間になってしまえばモンテロッソのピンクの壁に行きたいという彼女個人の願いはライオンの群れにとって利益もない障害にしかならないため、ハスカップはこの願いを捨てなければいけない。しかし、ライオンの群れに入ってしまえば互いの力で欠点を補い合えるし、今よりは安定が得られる。生存と持続という点では魅力的だ。このことをハスカップは潜在的に理解っていたのだろう。彼女にとってのライオンは生きるための妥協になるのだ。

 しかし、妥協なく生きた結果、壁の染みになったというのも切なく思える。彼女にとってモンテロッソのピンクの壁は生きる目的であり、原動力であった。夢のような満足感のなか壁に自分のあるべき姿をうつし、染みとなっていったのだ。
 この最後を、停滞=永遠の死と読むのか、自己の精神と行動が一致したことによる幸福感と読むのかーー

ーー*ーー

 私たちは、選択をしながら生きている。何かを得ると同時に失いながら生きている。自分が大事にしていることは何か、理想とする未来は何か、せめて今よりも良くなるようにと各々思いながら選び、これが「信念」というものにあたるのだろう。そして、この連続した選択の営みこそが生き甲斐なのではないだろうか。
 ときどき、自分は生きているのではなく社会に生かされているだけではないかと思うことがあるが、そう思うときは大体誰かに選択を委ねているときだったりする。人に委ねるほど自分が分からなくなるし、後悔も増える。自分で生きていると実感するためには、責任をもって選択し、代償と結果を受け入れなければならない。その覚悟を持つことこそが真の自由の始まりなのだ。

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