「閉じていた感覚」

 先日,雑誌の取材を受けていたときに,口から出てきたのが,「閉じていた感覚」と「感覚を解放する」という言葉だ.

 電車の中など.多くの人が「自分が生き物であることを忘れ、感覚を閉じて生きている」.僕は東京で生活をしている.もしも,電車の中で.隣の人の匂いを嗅いでみたり,じろじろ,周りの人を見渡したりしたら,変な人になってしまう.もちろん満員電車に乗る事なんてできない.

 私達は日常,「五感を閉じて」,できるだけ感じないように毎日をすごしている.それが東京の平和な日常というものだ.

 しかし,人間も本来は,動物にすぎない.森の緑をみると心が落ち着くのは気のせいだけではない.自然に触れ合うことが,人間が生きていく上でのストレスを改善すると言うデータはたくさんある.それでも,毎日の忙しいスケジュールにおわれて,仕事に追われて,自然を感じることもなく,時間が過ぎていく.

 「大事な事は,僕たち人間は動物であると認識すること.広い地球の上でどうやって生きていくのかを考えること.動物に国境はない.自分もその動物の一部であると感じる事なのではないか.」と,恥ずかしくもなくインタビューではこたえた.

 フィールドワークの授業で,とびきりの自然を求めて,沖縄の手つかずの森.タイの森に出かけて行っても,なかなか.学生達は感覚を開くことは出来なそうだ.「先生,緑がいっぱいで目が良くなりそうです!」と言う学生は,なにかに気づいているのだろう.なかには.そのまま,そこに就職する学生まで出てくる.なにかが開いたのかも知れない.

 僕が動物を採集にいくとき,森の中で全力で周囲の情報を得ようとする.音,空気のながれ,匂い.五感の全てを研ぎ澄ませて.この環境に生息する生き物はなにか,どんな生活をしているのか.それを認識するのが行ってみれば仕事になる.熱帯雨林と同化しその一部になる事もあれば.ツンドラの寒い夏の白夜,湿原と一体になろうと感覚を最大にする.

 そうそう.先日,お気に入りのチーズ屋さんにいった.ヤギのチーズを食べ比べた.このとき,森の中と同じように,じっと感覚を研ぎ澄ませる.スーッと息をして,複数が織り混ざったチーズの香りを,ひとつひとつ選り分ける.まさに感覚を開いていく,僕のルーチンをするわけだ.

 チーズの話は今度するとして.このとき,僕を悩ませたのは,周囲の匂い,机の匂い.壁においてある置物の匂い.そして自分自身の匂い(笑).ほとほと,嫌になるくらいに,チーズを邪魔してくるのは,そういう匂いだった.

 これはほんの数分前まで,全く自分は感じていなかった.この周囲の織り混ざった匂いがあることさえ,わすれていたのだ.

 まったく,「感覚を開ける」ことが大事なのだといいながら,東京の生活で,こうやって,どのくらい自分の感覚を閉じているのか.思い知ったのだった.情けない話だ.とびきりの自然の中で.全ての感覚を解放するのが,僕の当面のやりたいことだと改めて認識した.

 少しでも時間を作って,緑にかこまれて,自分が動物なのだと,考えて見る事は,どんなひとでも,動物である人間として.悪くないことだと思うのだ.それは生物学的にもまちがってはいないことだと思う.

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