日本の歴史の背景part4(奈良時代 平安時代前半編)歴史初心者向け!
はじめに
これから書く内容は前回の日本の歴史の背景part3の続きですので、「まだ見てないよ!」という方は先に見ることをお勧めします。
あともう一点、
この内容は、歴史マニアやテストで点数を取るための人の方向けには全く書かれていません。歴史の背景、流れをおさらい、一から知る人のための内容です。それが許せる方のみこの先を読んでいただけると幸いです!
それでは!早速続きから!
~奈良時代~
なんと(710年)見事な平城京!の出番ですね!
その頃の中国は唐であり、唐の文化が入ってきて
仏教で支配します!それを形で表したのが
奈良のパンチパーマの大仏さんですね!
しかし!これがすごい騒ぎを巻き起こす。この時代は権力者が今の安倍総理のお考えのように、ころころ変わっていきます!
この騒ぎを巻き起こした、一人が道鏡です!
彼はお坊さんでありながら、女性の天皇に気に入られて、異例のスピードで出世し、天皇になろうとしました。
道鏡が、「次の天皇が道鏡になれば安定します。のでご信託をいただきました。」
といい、道鏡を次の天皇に!という流れがあったが
もう一つの信託があり
「道鏡が天皇になるとあかん!!」
と2つの意見をめぐり大戦争が起こった!
つまりまとめると、
仏教で行こうとしたものの、あまりにデカすぎたため、国の中心を見失った時代なのです。
平城京の時代は、仏教の光と闇。
仏教を国はおさまるが、その仏教で力をつけて物はやがて天皇を脅かすような存在になる。
そんな時代でした!
ブレイクタイム
奈良時代はここまでです!奈良時代は、仏教が中心としているのでこのくらいでまとめました。
これで終わりだと少し短いので、
平安時代について少しだけ書いていこうと思います。
では、引き継ぎどうぞ!
平安時代初期
その奈良時代の仏教中心ではまずいと考え、
泣くよ(794年)鶯平安京!
の出番です!
それを行ったのが、桓武天皇です!
まず桓武天皇がやりたかったのが、仏教を止める事。
仏教が国家に関わりすぎたため、そうじゃない仏教を作ろう!で
最澄。空海。です!
国家に関わるのではなくて、厳しい修行をさせ、元の天智天皇(中大兄皇子)がやった、天皇がトップの時代に戻れると考えました。
その次に出てくるのが、坂上田村麻呂。
彼は、征夷大将軍!
征夷とは、征とは攻める。夷とは蝦夷を意味する。
ここでわかることは、大和政権はまだ、東北には浸透していなくて、初めて東北が出てきたのです!
坂上田村麻呂は初めて、大和政権を広めようと東北へ行った人なのです!
時代が変わってきた平安時代
この当時、東北はまだ大和政権に入っていない。
で、その南の関東は、50 50だった。
なので、俺たちの国を作ろうとし
平将門が動き出した!
ここでついに武士が出てきた!
どうして武士が出てきたのかと言うと、
公地公民制度にあります。その制度による税金が高すぎて、逃げられたりした。
ここで、墾田永年私財法が出てきた!
これは、中央集権を目指した天智天皇の挫折です。
墾田永年私財法は私有地にするってことですね!
私有地を集めたうえで、それを守るために、侍を置いた。
貴族の土地を守るものです。
それで、徐々に強くなっていき、武装化している、、関東の方で知名度を手にし力をつけていったのが
平将門
関東に独立の国を作ろうとしたが、天皇と戦ったのですが負けたのです。
一説によると、病死っていう説もあります。
ここから武士の時代が忍びよせてきた。
それが鎌倉幕府。
しあし!慌てずに!!
今はまだ、平将門という武士の芽が出てきただけで
まだ貴族の時代は続く!
エピローグ
今回はここまで!
奈良時代、平安時代と言えば争いがない時代だといわれがちだが、仏教を中心になかなか大きな争いがあったり、武士の芽が出てきた時代でもあったのです。
鎌倉時代をにおわせながら、まだ平安時代は続きます。
次回は平安時代の代名詞のあの方から書いていきます!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
続編