日本の歴史の背景part6(鎌倉時代前編)歴史初心者向け!
はじめに
これから書く内容は前回の日本の歴史の背景part5の続きですので、「まだ見てないよ!」という方は先に見ることをお勧めします。
あともう一点、
この内容は、歴史マニアやテストで点数を取るための人の方向けには全く書かれていません。歴史の背景、流れをおさらい、一から知る人のための内容です。それが許せる方のみこの先を読んでいただけると幸いです!
それでは!早速続きから!
~鎌倉時代~ 武士の時代の幕開け!
まずは、いい国(1192年)作ろう鎌倉幕府の
源頼朝です!
彼は何といっても、最初の武家政権です!
しかし、残念ながら、壇ノ浦の戦いでおなじみの源義経の方が人気がありますね(笑)
源頼朝の話に戻りましょう!
源氏と言う相当な戦争を勝ち抜いて最初の武家政権を作ったのにもかかわらず、すぐに崩壊してしまいます。
そこで、実権を握ったのが北条氏
北条政子のおやじさんです!
北条政子は源頼朝の奥さんです!
だから、源頼朝にとっては義理のおやじさんになるのです!
だから時代が北条氏へと移ってしまった。
ここで、ある事件が起こります。
それが、承久の乱です!
ここは、北条政子VS後鳥羽上皇です!
承久の乱
北条政子VS後鳥羽上皇
尼将軍と言われてた、北条政子。
と後鳥羽上皇
後鳥羽上皇。彼は、本来公家で戦とかには関係しないが、彼は別で武士の人で力があった。
彼は、白河上皇の北面の武士にさらに、西面の武士まで部隊を作って、軍を拡大させた。更に彼自身も強かった。
つまり、尼将軍VS戦い大好きサイヤ人
みたいな感じです(笑)
先に動いたのが、後鳥羽上皇だった。
そのころには、源頼朝がいない。どうするかと言うと、
北条政子の伝説のスピーチにより、軍が活性化し奮い立たせ、
後鳥羽上皇を跳ね返し、
北条政子が勝った!!
承久の乱の後
その後、北条の執権(武士を支えるポジション)の時代が続いた。
ここで、北条氏の3代目の
北条泰時が御成敗式目を作った。
御成敗式目と言うのは、武士たちのルールで、
揉め事が起きればこうするだとかして、ルールを作った。
つまり、ここの時代は武士たちのルールを作ったというとこは、武士より上の権力であることで、
北条には敵はいません。
という時代になったが、その矢先に、
やっています。最強の敵がやってきます。外から。。。。
最強の敵!モンゴル帝国!
最強の敵のモンゴル帝国が攻めてくるのです!
これ実は!絶体絶命です!
チンギスハン
という戦いのために生まれてきたような怪物がいるのです。
彼は当時、世界の四分の一くらいの領土を占めていた。
そんな国が日本に攻めてくるのです!
さらに!モンゴル帝国では、馬にたけた民族でした。
幼い時から馬術を学んでいた、幼いころから靴を履くような感覚で乗ってきた、馬に乗っての戦法で、ここまで、制圧したのです。
そして、チンギスハンには恐ろしい戦略を立ててくるのです。
まず、使者を送るのです。
「仲間になろう!こぶんになれ!」といって、成立したら握手。
もし断れば、その国を潰すといったような、
ピッコロ大魔王並に恐怖の大魔王であったのです。。。
それがついに北条のもとにやってくるのです。。。。。。。
エピローグ
さあさあ!いよいよやってきましたね!元寇!
ここは、ドラゴンボールで例えるとわかりやすいです。
ベジータとナッパが地球に攻めてるのと凄く似てます!
圧倒的な敵が外から攻めてくる!
この絶対絶命の最強の戦いにどうやって立ち向かったのでしょうか!??
この戦いの結末は!!!???
今回はここまで!
最後まで読んでいただきありがとうございした!
続編
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