「自己肯定感を上げる、高める」という概念から抜けよう
以前からこの話は折に触れて発信しているので、前々から見て下さってる方は見覚えがあるかもしれません…。
が、大事なので再度まとめます。
自己肯定感を上げよう・高めようという風潮、まだありますかね?
その辺の類の話はほぼ見ないので私は分からず、書店で見かける本を眺める程度なのですが…。
何というか「上げる」「高める」ことを良しとする言葉って巷に溢れまくっていますよねぇ。
自己肯定感もそう、波動もそう、運もそう。
あまりに自然に「上がる・高まるは良いこと」と身体に染み付いているので、
何か嫌なことがあると「気分を上げよう」とか「モチベーションを上げよう」みたいに言うことも多い。
私も無意識のうちに言うことがたま~にあったりして、気付いた時はハっとします…
ただね、私がいつも思うのは
自己肯定感に上がるも下がるも、なくね?
ってこと。
好きな自分を認められる時もあれば、嫌な自分を認められない時もある。
それは普通に起こることですやん。ただそうであるだけ。
なのに、
認められる=上がっている?
認められない=下がっている?
この概念が、そもそも分からないのです。
上下するのは、その時々の気分でしょ?感情でしょ?って私は思うから。
その時々の気分、感情と「自分を肯定できるどうか」は全く別次元です。
いくら怒り狂っていようが、そんな自分でもOKと認められる人もいるし、
どんなに落ち込んでいても、そういうこともあるよなって受け止められる人もいる。
「自己肯定感が低い」と言われている状態は、ここを比例させてる考え方だと思うんですね。
怒っている自分が嫌だから、肯定できない
落ち込んでいる自分を見たくないから、肯定できない
みたいな感じ。
「自己肯定感が高い」ってどういう状態かと言うと
気分や感情の浮き沈みがあったとしても
自分は自分でOKと肯定できる
という状態。
間違っても、ずっとハッピー💕とか、いつもご機嫌💕じゃないよ。
この状態に、高いも低いもないでしょーよ!!ってのが私の持論です。
というか、
高いか、低いか
上がってるか、下がってるか
という尺度でいちいち自分を見ていると、疲れますよねぇ。
だって、揺らぐのは当たり前なのだから。
「高い、上がってることが良い」と思って、高めよう・上げようと努力すれば、それは自然の法則で必ず下がります。
上がったものは下がる、発熱と一緒ですからね。
私はどう捉えているかというと、
自己肯定感を”育てる”
という意識です。
自己肯定感を「自分の畑」とイメージしてもらえたら分かりやすいと思う。
畑の土が栄養たっぷりでフカフカだと、蒔いた種がすくすくと育ちますよね。
(=どんな自分も肯定できる土壌があると、やりたいことに邁進していけるし、望む結果も出しやすい)
一方、畑の土が荒廃していて害虫ばっかりで水浸し…みたいな状態なら、いくら品質の良い種を蒔いても育ちようがない。
(=自分なんてどうせダメだ、と思っていると、どうせダメだと実感する結果にしかならない)
これが現実で起こってること。
ね、高いも低いも関係ないでしょう?
大事なことは、
自分の畑がどうやったら肥沃になるのか。
そこを見極めるのです。
もっと自分に休息の時間が欲しいのなら、出来る限り与えてあげる。
よく寝たり、ぼーっとしたり、ダラダラしてみたり、身体を動かしたり。
どんな休息を欲しているのか、自分の身体とよく相談する。
もっと自分を認めて欲しいという枯渇感に駆られるなら、そんな自分をまずは受け入れてみる。
「あー!認めて欲しい!!でもこんな自分も嫌だ!!」って、口に出すなり、ノートに書くなりして、外に発散(表現)してあげる。
不安感や焦りに駆られるのなら、まずは生活を見直してみる。
必要なエネルギーを食事から摂れているか?
運動して体内のエネルギーを潤滑に回そうとしているか?
そもそも不安が何なのか、自分をよく知ろうとしているか?
そんな小さな積み重ねが、自己肯定感という自分の畑を豊かにしていくと思うのです。
何度も言うけど、そこに高いとか低いとか、上下概念は不要ですよ。
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