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生まれてきた意味も使命も、知るんじゃなくて”決める”もの

学生時代からの親友が、無事に出産!めでたすぎます。

もう本当に本当に感無量で、私が勝手に泣いて(笑)、送られてきた赤子の写真や動画を見ながら「かわいい……なんて尊いんだ……愛おしい……」という感情だけが溢れてきます(感涙)

出産は、母子ともに命懸け。

こんなにも大変なことを人類は何千年と繰り返し続けてきているんだと思うと、「すごい」以上の言葉が見つかりませんね。

試験管ベイビーという言葉が出てきた昨今ですが、卵を最先端の科学技術の力で創造できたとしても、人間の形にまで育てて産み落とすという行為だけは人間にしかできない。

この世に産まれる時間ですら、何らかの事情があって薬を使ったとしてもコントロールできない。
人間の肉体、命の誕生って”神秘”でしかないなぁ…


そんな感慨深さに浸りながら、生まれた赤子のホロスコープ(西洋占星術で見るところの出生図)を見ていて、

この子は、これからどんな人生を創造して行くのだろう

とワクワクしながら想像していました😊

東西の占星術や他の占術でも何でもいいですが、出生の情報にはその人の魂の意図が込められていると言いますよね。
(地球に降り立った瞬間のエネルギー状態を本人が纏う、という意味で)

その意図はどうやったら紐解けるのか?
その意図をどうやったら生き切ることが出来るのか?

先人達が古代からずーっと研究し続けた叡智の結晶が、占星術をはじめとした”占い”なのだと、私は解釈しています。

そこから紐解ける情報は膨大な量で「月が双子座だから、おしゃべりだよね」みたいなTwitterで流れてくるカテゴライズは、表層のほんっの一部分。

私自身は葛藤が激しく偏りのある宿命なので常々自覚しているのですが、
人間の中には矛盾した面が多様にあります。

始めたけど、もう壊したい
安定したいけど、変化がないのは嫌だ
心惹かれるんだけど、抵抗してしまう etc…


書ききれないぐらい色々あるので、他人から見れば「めちゃくちゃ複雑で面倒な人間だな」って思われますし、そう言われたこともあります(笑)

だけどよく考えると人間は誰しも多面的で多層的で、状況や環境、一緒にいる人によって見せる顔は全く違いますよね。
(どこにいても、何してても一緒だよって人もいらっしゃいますが)

人間が纏っている出生のエネルギーも同じように多層的で、
一人たりとも自分と全く同じエネルギーはない。


占星術などの先人達の叡智を活用することで、ある程度の意図は掴めるんじゃないかと思います。

この分野で活躍しそうだね、こういう方面は得意だね、むしろめっちゃ偏ってるね、という個人的な部分から、

家系の潮流としてどんな役割を果たすのか、という大きな流れまで。

だけど、

本当に大事な具体的なことこそ、
分からないようになっているんじゃないか?

とも、私は思っていて。
それが「生まれてきた意味」「使命、目的」の部分です。


「あなたはヒーラーですよ」とも書いていないし「あなたは小説家になります」とも書いていないと思う。

何なら「あなたは時代の最先端を行くYouTuberになります!」も当然、読めない(笑)

西洋で言うトランジット(経過図)、東洋で言う後天運みたいな「時期的な話」も一緒。

この時期は物事がスムーズに進みやすいね、家庭やパートナーシップにフォーカスしやすいね、という時期もあれば
この時期はかなり大変かも、精神えぐられるね、みたいな時期もある。

生きていれば必ず回ってくる運気もあれば、ある特定の天体配置を持つ人にだけ現れる運気もある。

そういった大きな方向性だけが見えて、具体的にどうするかは自分の意志に委ねられている。


ちょっと私の話を挟みます。

(私は算命学の鑑定士じゃないので間違ってるところもあると思います、鵜呑みにせずに正しい情報は鑑定士さんへ聞いてくださいね)

私は12歳から20年間”大運天中殺”という特殊な運気の下にあって、今もその真っ只中なのですが…

その中で「親と離別、死別してこそ大運天中殺が稼働する」というパターンがあることを知って、
「うわ、その通り過ぎるやん…」って驚いたのです。条件がそのまんま当てはまっているから。

母を亡くした当時は当たり前ですが意味分からず、現実を受け止めることが出来なくて。

「なんで私はこんな運命なんだろう?」「なんかドラマでも見てる?」「本当にコレは現実なのか?」
って信じられない気持ちでいっぱいで、感情が死んでしまうほど解離していた。


友人の結婚式に出て、当たり前のように新郎新婦のご両親がいる姿を見て、

私はもう一生、コレは味わえないんだな…
(自分の人生の門出に、両親が揃っていることはもう絶対にない)

って思って絶望して、そっちの意味で泣けてしまって。お祝いの席でそんなことを思う自分に嫌気が差したり。

手料理だって食べれない、おかえりと笑顔で迎えてくれることだってない、父が死ねば帰る場所も無くなる。

突きつけられる現実が辛すぎて、悲しくて仕方なかった。


そんな感情を少しずつ抱きしめて死を受け入れて行く過程の中で、

親が亡くなったのをキッカケに自分の人生が大きく変わって行ったのは明らかな事実だな、って感じ始めた。7年以上経って、ようやく。


誰に言われた訳でもないけど、

私が自分の人生を全うする為には、
親が死ぬというイベントを人より早めに経験する必要があったかもなぁ

みたいな感覚が、
自分と深く向き合う旅路の中で分かってきたのです。

亡くなってから出会った人、得た知識、失敗も成功も、その全て、
過去の自分が驚いて信じられないほどに自分の精神性を磨いて成長させてくれたのは間違いないから。


人生パズルのピースを一つひとつ拾い集め、解釈し直していく中で算命学の情報に出会ったので「うわ、まさに」と思ったし、
知らず知らずのうちに宿命通りに生きていたのかという深い感動をおぼえて涙が出てきた。

死別の悲しみの涙じゃなくて、魂揺さぶられる涙というか…。



私の場合はまだまだ「そうかも」という段階だけど。

親の死をどう受け止めるか、どう解釈するのかと同じように
生まれてきた意味も、使命も、目的も、自分で確信を深めた上で決めて行くものじゃないか?

占星術とかの鑑定でよくあるニーズは「自分の生まれてきた意味や使命を知りたい」だと思いますが、
鑑定はあくまでも”大枠を掴む”だけ。

私のように、何か気付くキッカケを掴むための運命のトリガーみたいなもんかな?って思いますね、鑑定は。



もう一度になるけど、
個別具体的なことは(使命も、生きる目的も、自分の身に降りかかった災難も、辛かったこと)全て、

自分が意味を決めていく。


私がこう感じたからこうだろう、
私がこう思ったからこうだろう、

それでいい。
誰の許可も、根拠も要らない。無くていい。

むしろ、誰かの何かに頼ろうとするな。

一時的には頼ってもいいけど、
根拠なく信じられる事こそが最も強いパワーになるから。


運命を知る誰かや、目に見えない存在があなたに「使命はコレやで」「あなたの生きる意味はこうやで」って囁くものじゃないでしょ。

「自分でこうだと決めたこと」こそが、
自然と天意に沿っているものだと思う。

たとえそれが失敗だと感じても、間違えたと思う体験でも、
それすらも天意の一部なんじゃないかとも思うのです。

運命の時計ってあるよなぁと私は思います
必ずタイミングがある
卍易では「天の時」と言いますよ♪

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