見出し画像

「変われないのは変わりたくないから」の越え方

自分の頭では「こう変わりたい」「こう在りたい」って思っているのに、そうなれないことって結構ありますよね。

そんな状況が続くと、いつまでも変わらない自分に対して嫌気が差してきてどんどん自己否定が深まって、

変われない変われないって嘆いて足掻いて疲れるっていう泥沼ループになりがち…(少なくとも私は、ですが)

で、こんな時って、こういう言葉を耳にしませんか?

変われないのは、変わりたくないからだよ!


って。


私もそう思っていたし、そう言っていた時期があります。コレは本当にその通りだと思う。

本心は”変わりたくない”と思ってて、変わらない方が良い事情が色々とあるから、
自分の無意識のうちにそちらを選択している。

私たちはどんな時でも自分の信念や価値観に従って生きているので、
変わらないで居る方が"自分の中の大事な何か”を守っている…という状態なんですね。

ただ、それをハッキリと自覚するのはやっぱり難しいのですよ。なんせ無意識の世界だから…。

誰かに指摘してもらったとしても、抵抗したり、怒ったり、それは自分に関係ない!!ってスルーしたりも結構あるし。

どうしても受け入れるのが苦痛で、嘆いていたい…人のせいにしていたい…ってことだってあります。

ここを、どうやって越えて行けるだろうか?って難儀していたんですが、
ちょっと活路を見出し始めたのでシェアしますね。



まず、「変わりたいのに変われない」という状態において、本心は絶対的に後者ってことを押さえる。

「変わりたい」のは思考の部分、頭でごにょごにょ考えていること。

「変われない」のは本心の部分、ここは明け渡すもんか~!って本気で思っていること。

だけど私たちはどうしても「変わりたい」って考えている事の方が良いって自動的に思っているから、こっちを突き通そうとする。

分かりやすいイメージだと、
めっちゃ駄々こねてヤダヤダ~!!って言って泣いている子どもに対して「さっさとやりなさい!」って大人が押し付けているような感じ。

なので、自分が自分に対してやってることって、実はめっちゃ暴力的だったりする…。

そりゃ抵抗しますわ。


私も、自分に対しての扱い方があまりにも暴力的でビックリすることが多々あるんだけど、
是非ちっちゃいところから見てみてください。ホントに。


自分が「これ嫌だな…」「やりたくないなぁ…」って思っているのに

「いや、やらなあかんやろ!さっさと動けよ」って脳内でボソっと突っ込んでいる”野郎”がいるのですよ!!w

その”野郎”が「おい、お前はよ変われや」「変わらんとアカンで、お前の価値ないわ」ぐらいまで自分を追い詰めている可能性があるんですね。強迫と変わらんわ。ひぃぃ。

私の場合はスパルタ野郎のイメージですけど、人によっては鬼教官かもしれないし、クソじじぃかもしれないし、嫌いなアイツかもしれません(口悪くてごめんなさいね🤣)


なので、まずは自分の脳内に住んでいる”野郎”にご退場頂き(笑)

”変わりたくない”って全力で訴えている声に、耳を傾けてあげる。

ここで大事なのは「変われない」じゃなくて「変わりたくない」ってトコ。

外側の事情で出来ない(can't)と見るんじゃなくて、自分の意志で変わりたくないと選択していると観る。まずはこっから。


そして、

何のツッコミもせず、
何の異論も唱えず、
揚げ足も取らず、

ただただジっと「自分の本当の言い分」を聴いてあげられるかどうか


ここなんですよ、めっちゃくちゃ大事なのは。

気を抜くと、うっかり”野郎”が再登場して🤣

「おいおい、それは矛盾してるやないか」
「そんなこと言ってるからアカンねん」
みたいに突っ込まれちゃうからさw

でもこれは自動思考なので、いったんスルーしましょう。



私は自分の声を聴いててよく思うのは、本心ってだいたい未熟で子どもなんです。

こんな些細なことで傷ついたの?ってぐらい繊細だったりするし、
いやそんなの気にしなくてええやん!ってところが許せなかったりする。

考えている事とハチャメチャに矛盾していることも多々あるし、
白黒ハッキリ付けられなくてグレーなのがどうしても嫌なこともある。

人のせいにしていたいと思う被害者意識もあるし、
一方で激しい怒りや許せなさで加害者になってることだってある。


ホンマにしっちゃかめっちゃか。

意味不明です。

理屈なんて、倫理観道徳観なんて、
通っちゃいませんよw


だけど、
この”しっちゃかめっちゃか”を一旦は「そうかそうか」って受け止めてあげないと、マジで壊せない牙城がある。

特に、自分にとってすっごく大事な所ほど…(それを時に、魂の癖やカルマと呼ぶのかもしれませんね)


それを受け止めてあげられるのは、やっぱり自分だけ。

私もよく「ああもう!受け止めなさいよ!」って他人に思うことがあるし、

特に近しい人(親や恋人)には押し付けがちだったなぁ…と過去を振り返ると思うんだけど、それじゃあ埒が明かなかった。


誰かや何かの承認や共感を求めず、

どんなに意味不明でしっちゃかめっちゃかで矛盾してても

その本心を自分が自分で認めてあげよう。

その本心があっていいと、自分の心で感じて、許してあげよう。


それがスタートライン。大丈夫。できるできる。

できるというより、自分の為にやろう。やるか、やらないかだけ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?