見出し画像

インナーチャイルド、AC、愛着障害、そういう用語との距離感

よく聞きますよね、こういう用語。今は心理系の本も沢山出回っていて、こういった生きづらさに対してどういう風に対処していけばいいのか、みたいなノウハウ発信も結構多い。(この記事もその一つかな。笑)

確かに、自分を知るという意味で使うのはとても有意義だと思う。
知ること、理解することによって心が軽くなったり、不必要に自分を責めなくなるというメリットも多々あると思うし、私も納得したことが沢山ありましたね。特に親との関係において。


ただ、ざっと知ったら、専門家でない限りはそこまで深入りしなくていいし、安易なラベル付けは不要だと私は思っています。

というのも、そういった生きづらさが出てくるたびに「私のインナーチャイルドが…」とか「〇〇障害の▽▽だから…」とか、そう思ってるほうがよっっっっぽどしんどくないです??


▼そこで発生しがちなあるある傾向①
熱心に調べて勉強し過ぎてしまうあまりに「そういう自分はダメだ」という自責材料にすること。

「あー、インナーチャイルド出てきたからまだ私は癒されてないんだわ~ダメだわ~」みたいに無意識にレッテル張りをする。無意識に。口では発さないけど脳内でそういう言葉が呟かれる。こういう人多いだろうし、心理ジプシーになると辛いよね。

▼そこで発生しがちなあるある傾向②
知りすぎてしまうあまりに「分析」で終わってしまうこと。(これは、完全に過去の私ですね)

「私はこれこれこういうことが起きてて~」って詳細に分析することはできるけど、じゃあいったい何をどうしたらいいの?とか、どう変化したの?って言うと「よく分からんなぁ」止まり。
これは、知った止まりになっていて、身体(感覚、感情)が置いてけぼりなんです。だから知覚認識の変化にはならない、残念ながら。



要は、こんな情報ばっかりの海の中で生きる私たちは、知り学び理解することによって起こる弊害もそれなりに大きいということ。
(もっと言えば、理解した先に活用できるだけの知性や行動力って高級技なんですよ本当に)


だから私は、ある程度知ったら、その後はもう深入りしません。
(レメディーとかアロマとか波動とか、自分が使ってラクになることは日常でドンドコ使うけどね)

日常の揺れ動く感情の中でいいちいち「ああ、これがインナーチャイルドで~♭&×$□☆■!▲: ‼︎」とは考えません。
そんなことやってたら、超絶疲れるやん。思考使い過ぎるとと本当に頭重くなりません?私はなる(笑)


シンプルに「あー、悲しい!」「あー、もうやだやだ!」「マジでむかつくわ~」だけでいい。本当にそれだけで大丈夫。

それがだいぶ出来るようになって、超楽になりましたよ、少なくとも私は。

がんじがらめに考えていた時よりもよっぽど、感情表現が豊かにストレートに出来るようになったし、ぐんぐん内側がクリアになる。

それは身体が伴っているので変化を節々で感じられる。自分を感じられるって、頭で理解する以上に嬉しいことですよ♡


専門家の診断や学びが必要、もしくは自分が「そうしたい」と思う時以外には、あなたの感情や体験にいちいち細々したラベル付けや理論解説は要りません。

必死に学んで知ろうとして消耗せずとも、自分のこと感じられるし理解できるようになる。大丈夫だよー、本当にね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?