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始めたことは簡単に辞めちゃいけないという呪い

最近、風水師としての活動でインスタの方も活用したくて
どうやったら自分が楽しく続けられるかな~と模索していました。

こういう時に、

いかにちゃんとやるか じゃなく
いかに楽しくやるか にフォーカスするようになったことに
自分の成長を感じます♡

さて、そんな中で変な思い込みを発見したのですよ!


お、これやってみたいな!というアイディアが浮かんで
実際それをやってみよう~!と思って行動し始めたら…
ポワポワと浮かんでくる、こんな気持ち。


でもさぁ、私って飽き性だから

続かなかったらどうしよう?


ってね(笑)


その奥には、

やろうと決めたことは、貫かねばならん
いったん始めたことは、続けるべき

っていう「べき」「ねば」があって…

(一途に続けることを美徳とする大きな風潮も、結構あるよね)

で、思い込みの奥には必ず「表現したい想い」があるので、そこを紐解いてみた。


私が、やると決めたことを「やーめっぴ!」って手放しで辞めたら
何が起こるのが嫌なんだろう、何が心配なんだろう?


そう問い掛けてみると、

そんな簡単に辞めたら、人からの信頼がなくなる。
何かを続けられないことで、いい加減な人だと思われる。

それが嫌だなって思った…


じゃあ、私はそんな体験を既にしたことがあるか?と考えると
さらに深層にあった思いがポロっと出てきたのです。

なぜ嫌なのか、

なぜ辞めたいのか、


正当な理由がないと

自分を受け入れてもらえない



”正当な理由”って何やねん……と思わず自分に突っ込んだけど(笑)
要は、理論立っていて相手を説得できるぐらいの筋。

・・・あくまで、私の”思い込みの中の世界”だけですけどね。

そして、正当な理由を証明しなきゃならん!と思っていたのは父親に対して。
(母親には全然思わないんですよね、不思議と)


父親は研究開発一筋の仕事人間だったし、ブレることがなかった。
良く言えば初志貫徹、悪く言えば死ぬほど頑固。w

一方の私は、今の自分が興味あることを次々とやっていたい。
やりたいことは全力でやる、やりたくないことはスパっと辞めたい、
そんな感覚的な部分が、幼少期から非常に大きい。


だけど、

それはどう役に立つんだ?とか
それは何のためになるんだ?とか

とにかく「なぜ」「どうして」の理詰めで
私の感覚的な部分にメスを入れてジャッジしてくるのが父親だったから

小さい頃からそれを悟ってか
大事な決断ほど事後報告で、有無を言わせないようにするのが習慣化していた。

「私、これ辞めてきたんで、よろしく!!」
って辞めた後に、両親に言うのが基本(笑)


そうでもしないと

親が納得するような説明を要求され、詰められるか?
それが出来なくて自分は受け入れてもらえなくなるか?

そんな嫌な2択しか残っていなかった。
そりゃ辛いわな。

だったら「やり続けなきゃ」って自分を縛る方がよっぽどマシだもの。


そんなこびりついた記憶を感じて、

ああ嫌だったなぁ、本当に嫌だった…

と一通り味わい尽くしたら、大分スッキリ


そして、スッキリした頭で気付くのです。


やりたいから、やる
やりたくないから、やらない

ただそれだけの超シンプルな理由で
全然いいやんね?

私は、親に自分の正しさを証明する為に
生きていたい訳じゃないんだ。


そう思うと、
続かなかった時はそれでいいし、また考えればいい
まずは「やりたいな」という感覚を大事にして、やってみよ!

というところに、無事着地しましたとさ。


続けなきゃの呪いに自分を縛り付けたままにするか
その呪いを自分で解いてラクにしてあげられるか

それは「今の自分の選択」で変えられる😊

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