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苦手は無理に克服しなくていいけど、一つだけ例外がある

自分にとって苦手なことって、色々ありますよね。

私だったら物理、化学、数学、体育。理数系とパワー系は大体ダメ(笑)なので早々に得意な文系に切り替えてどうにか乗り切ってきたほうです。

あとは、人混みが多くビル群が立ち並ぶ大都会、満員電車、意味分からんルールに従わざるを得ない集団行動、自分の意見を聞いてもらえない環境も無理。いや、むしろ嫌い…(笑)

で、ですね、

苦手なことを無理に頑張る必要はない!

これは本当にその通り。

苦手に労力をかけるよりも、得意なことや好きなことをやって、他は補ってもらうほうが全然いいし、大局的に見ればそれが”調和”だしね。


ただ、一つ例外だなぁと確信したのが

本当はやりたいのに
苦手だと思い込んでること


これですよ、これ。


例えば私なら、人に気軽に頼るのが本当にめちゃくちゃ苦手。
自分の話を聞いて欲しいな~って時にも、いちいちこう考える…

いや、色々と忙しいよね、
だから自分に時間を割いてもらうのは超申し訳ないな、
ただ聞くだけなんて相手も疲れちゃうよね、
だって聞くのってめっちゃエネルギー要るからさぁ
相手にも、仕事や家庭と色々なことがあるし、
・・・でも、んなこと言ってたら何も出来んやん?
いやでもなぁ、うーーーーーん。。。。。。

という思考を辿る。高確率で。
言語化して眺めてみたけど、めっちゃくちゃ面倒くさいなぁ(笑)

こうなってしまうのって、
私自身が人生の大半ずーっと聞き役だったからという影響は大きいです。

親の話を聞いてあげなきゃ、を覚えたことを皮切りに
人の話を”聞く側”に回ることを様々な出来事の中で覚えるというか。

(でもそれは悪いこと、嫌なことではなくって、自分が相手に対して役割を果たせてるっていう安心感もあるんですよ、ここが複雑)


あとは、自分の話をしていたのに、その合間に
「私も、こうこうこうで…」と別の話が放り込まれる状況になると
"聞いてあげなきゃ"スイッチが発動し、全力で相手優先モードになる。自分は後回し。

聞いてもらえないことの悲しさは身に染みてよく知っているから、
まずは聞いてあげなきゃなって気持ちが自己主張よりも勝つんですね。

これは優しさではあるけど、ちょっと自己犠牲気味なのが厄介なところです。※今は脱却しつつあります


だから、私の中での前提って

人に頼ったら、その人を無理させちゃう、頑張らせちゃう

だったらやめた方がいい、申し訳ない



自力でどうにかしよ、私が一人でやればいい

一人でギリギリ限界まで抱え込む
(のち、爆発w)


というループになるんですね。
これ、多いやろなぁ。私だけじゃないよね~ってよく思います。


で、前置き長くなったけど、本題はこっから。



その状態でいて幸せなんだったら、
本当にそういう自分のままがいいと思うなら、
何も変えることはない。克服する必要もない。

だけど、

本当は頼りたいのにな、
本当は話聞いて欲しいのにな、
本当はもっと気軽に甘えたいな、

が本音なのだとしたら

苦手こそ試してみるといいよ!



つまりは、

「苦手なんです」って言葉を使うことによって
本当はやってみたい・こうしたい、という欲求を隠したり抑圧したりしていないか?

ってところが、例外ポイントなんですよ。


本気で苦手でどうにもならん降参です!!!って部分には、人はあまり執着しないし、割と抵抗なく誰かに委ねられると思う。

だけど、わざわざ「これが苦手で……」とツラツラ言葉を並べたくなるのならば、それは「苦手」とは別軸の思いが絶対にある。

苦手だけど本当は欲してるのか、
苦手だと思う自分を裁いているのか、
苦手だけどどうにか出来るようにならなきゃいかん!と思い込んでいるのか、等々。
人それぞれ違うから、ここは自分によく聞いたほうが良い。

私たちの言葉や思考って、結構簡単に嘘をつきます。
それはダメなことじゃなくて自分を守る為ではあるんだけど、

でも、

その選択が自分を幸せにしないのなら、意思を持って変えたいよね。
他の誰の為でもなく、自分の為に。

だって、その嘘に気付けるのも、変えようという意思を持てるのも、自分しかいないのだから。


…と書いてる私が一番、人に頼ることを学んでる今です♪

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