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悔いのない人生じゃなくて「悔いがあってもいいからやりたい」を積み重ねること

私の推している天才的なアイドル様がですね、あっけらかんとこんなことを言っておりました。

他の誰かに生まれ変わりたいとか思ったことがないし、
他人にも興味がない(笑)

もう、めっちゃ清々しくないですか??最高じゃない??
これぞ表舞台でスポットライトを浴びて輝く人の言葉たれ!って感じですよ(褒める言葉が止まらない)

自分の核がしっかりしている人って、良い意味で他人に興味がないんですよねぇ。
他人に目をやってる暇があったら、自分のやりたいことに集中したほうがええやろ!という考え方な感じ。

で、私も「生まれ変われるとしたら、誰かになりたいか?」って問うてみると、うーんそれはないかなぁ~って感じる。

”違う人生設定”には興味があるし、容姿がもっと美しい女性だったらどんな感じなんだろう?っていう好奇心はあるんだけど(笑)魂はそのままがいいなぁ。


自分の中身とか、自分が今まで歩んできた人生とその選択に関しては、

同じ人生をやり直すことになったとしても、
私はまた同じ選択をするし、したいなぁ

と、ふと思ったのです。

出会ってきた人たちとも、もう一度会いたい。同じ場所でも、そうじゃなくてもいいから縁があって欲しい。

本気でそう思うぐらいには、自分の人生が愛おしい。

え、そう思えてるのって、ものすごく幸せじゃない?
私は過去の自分を思った以上に肯定してたのか、なんか嬉しいなぁ……って、一人でなんかガッツポーズなのです。

それぐらい、私が私を幸せにしている根底の考え方って何だろうか?
ちょっと考えてみたら、見えてきました。


「後悔のない人生を!」という言葉がありますよね。
その言葉に含まれる、文字面の部分以上に伝えたいことというのはよく理解できる。

この言葉の核というのは「悔いの有無」ではなく、自分の人生の選択には自覚的であれ、ってこと。

「悔いのないように」という問題回避的なスタンスではなく「自分のやりたいようにやれ」だと、私は解釈しているんですよ。

で、私が思っていることも、悔いの有無の話ではない。
後悔はしてもいいし、しなくてもいい、どっちでも良いと思う。

たとえ後悔しようが、その経験を活かして「次はこうしたい」っていう意思や学びを得られるので決してマイナスではないからさ。


私が自分の人生経験の中で「また同じ選択をするし、したいなぁ」と思えてきた大きな理由として

後悔しようが、やりたい

という決断を、幼少期からそれなりに積み重ねてきた賜物かなって思ったのです。


正直、行動をした後にどう思うかだなんて全く分からないし、未来の自分に聞くわけにもいかない。
めっちゃ恥かくかもしれんし、後悔以上に大きく何かを失うことだってあるかもしれない。

やらかしたことも色々あるし、
思い出すと赤面級の恥ずかしいこともある。
墓場に持って行きます案件もある(笑)


だけど、

後悔しようが何だろうがやるんじゃい!!
私はやりたい!!!!

ぐらいの気持ちになれるような決断を出来る状況にあること、
そういう決断を実際にしたことの方が、よっぽど大事なんだろうと思うのです。

「何もしなかった~!後悔も何も味わなかった~!」という人生の方がよっぽど悔いが強いだろうし、死ぬ時に虚しいと思う。
土俵に上がっていないのと同じなのだから。

はぁ~、想像しただけでも悔しさが込み上げてくるぅぅぅ(←負けず嫌いの発揮)


起きた出来事は、付ける解釈によって何だって変わる。
未来の自分にとって必要不可欠だったとも思えるし、ものすごく傷付いて最悪でした!っていう記憶のままにすることもできる。

捉え方も、意味付けも、いつだって自由自在だ。
何度だってやり直せるし、書き直せる。自分の好きなように。

だから「後悔しない選択を!」という心積もりは、そこまで気を張ってしなくてなくてもいい。

それよか、

悔いが残るか残らないかじゃなく、
結果として上手く行くかどうかでもなく、

どんな体験が欲しいの?

というところにフォーカスしてみよう。
私は、そういうことを問い続けたい人生でありたいと思う。これからも。

書いていて自分に突き刺さる記事でございました。
過去の自分、グッジョブだよ。挑戦し続けてきてくれて、ありがとう。

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