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GW中に旅行する奴はバカという言説について

 俗にいう「意識高い系」の一部の人間の間では、GW中に旅行する奴はバカであるという風潮がある(らしい)。

 彼らに言わせてみれば、GW中は大概どこのホテルや旅館も宿泊料金が高くなるし、「連休=旅行」という短絡的な思考をする愚民どもが観光地に密集するせいでまともに落ち着いて時を過ごすことが出来ないから、そんなデメリットばかりしかない時期に旅行をするのは愚の骨頂にしか見えないというのだ(※あくまで彼らの主張であり私の意見ではない)。

 また、俗にいう「意識高い系」のインターネットサイトでも「本当の金持ちはGW中に旅行をしない」といった記事が書かれていた。本当の金持ちは混雑時を避け、平日に有給休暇を取得し安い料金で閑散的なバケーションを楽しむのだそうだ。
 その記事にはそのような節約術だけではなく、本当の金持ちは何の目的もなく旅行に行かない、といったことも書かれていた。浪費家はただ旅行に行くという行為自体を旅行の目的にしがちだが、金持ちはある遠方の美術館や博物館に行きたいとか、その場所でしか出来ない自然のレジャーをしたいとか、そういった行為に付随する手段として旅行を考えるのだと。要するに「連休=旅行」だという考え方ではなく、「ある明確な目的→そのための旅行」という考え方をするわけだ。

 なるほど確かにそういう考え方をすれば金が貯まりそうではある。実際私も人が多い場所は好かないため、どちらかといえば世間一般的に休日とされている土日祝日などよりも平日を狙って観光に出かけたいクチではある。

 なので基本的に彼らの主張は正しいとは思う。ただ、世の中にはGW中にしか旅行が出来ない人間もいるし、たとえ混んでいても宿泊料金が高くても、楽しい時間が過ごせればそれでヨシという人間がいることも確かだ。

 前述した「意識高い系」の言説を受けて、「GW中にしか旅行が出来ない、平日に有給なんて取れる職業じゃないんだよこっちは!」という声もあったようだが、俗にいう「意識高い系」(いちいち称するのが面倒くさくなってきたので俗にいう「意識高い系」のことを某絵本作家お笑いタレントをリスペクトし以下プペリストとする)はこれに対して「平日に有給が取れない?それ、労基違反なんで通報した方がいいですよ」と異を唱える。しかしそんなん言うならお前が代わりに労基に通報しろと言いたい。有給が取りたくても取れない会社は明らかに風通しが悪い会社であり、仮に通報したとて自分の立場が改善される可能性は50パーセント以下なのである。学校でいじめられている人間が周囲の大人に助けを求められないのと同じことだ。大人はいじめられたら「周囲に助けを求めろ、力になってやる」と言うが、そうしたとて自分の立場が良くなる保証なんかどこにもない。むしろ大人に助力を求めたという行為そのものによっていじめが悪化するのではないかという恐怖が増幅されるだけだ。故に、そのような状況に追いやられた時は会社であっても学校であってもその場の環境に留まらず、ただ果てしなく遠くへ退避することだけが最適解なのである。

 労働に対する怨恨が強すぎて話が脱線してしまったが、ともかくプペリストは休みたい時に休めるという柔軟性のある世の中を希求しているようだ(そんなん言うならお前が滅茶苦茶頑張って労働基準法を改正、いや破壊しろと思わないでもない)。

 まあ言い分はわかるが、しかし世の中のGW中に旅行に行く人間たちをわざわざバカであるとこき下ろす必要があるのか?とも思う。考えてみれば、プペリストの「旅行するなら連休中を避けろ」という言説が世間的に広く敷衍するほど、連休中に旅行する人間の数が減り、平日に旅行する人間の数が増えるからして最初に述べたような宿泊料金や人口密度のアドバンテージが取りにくくなるような気がするのだが。

 GW中に旅行する人間がバカっていう物言いは果たしてプペリスト側からしてどういう心境から言っているのだろう。人々がまだ気付いていないことに気付かせてあげたいという老婆心なのか、自分はお前ら愚民どもとは違う観点で金を節約できるんだぞという虚栄心なのか、それはわからない。

 しかし、本当に旅行、いや人生を楽しむことが出来ている人間はそんなこと気にしないのかもしれない。高い金を払っても、人の多いところに行っても、それが充実した人生の中の一ページとして記憶に刻まれるのであれば、「GW中に旅行する奴はバカ」なんて言っているのは負け犬の遠吠えにすら聞こえないだろう。

 「GW中に旅行する奴はバカ」であると主張する人間ほど、他人の幸せを僻みがちな人間であるのではないか。本当に心が豊かな人間は自分は自分、他人は他人という考え方でわざわざGW中に旅行する人間のことを「はい連休中に旅行してるーーー!!はいお前バカーーー!!」と否定しない気がするのだ。

 こうしてプペリストに対しての批評をしてきたが、結局プペリストもプペリストを批評する私も人間を卑屈な観点からでしか観察できないという時点で同じ穴の狢なのかもしれない。本当に幸福な人間は、こんなこと考える時間を海水浴や登山の時間に充てているだろうから。


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