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時をほどいたり つむいだり 〜#1

make a knot.

It was knotted yarn.
Did you know?
It was big or small,simple or difficult.
I think that have means each of them.

pick up the threads of yarn, anytime.

and so …
I want make a knot with you.


ー・ー・ー
結び目をつくる

それは結び目のある糸だった
知っていましたか?
大きなもの、小さなもの、簡単なもの、難しいもの、
私はそのひとつひとつの意味を考える

その糸の流れを拾いあげる いつでも

そして、そう...
私は、あなたと結び目をつくりたい




こんばんわ、Kaloです。

上記は2008年の年賀状(トップ画像)で描いた詩です。

当時、編み物にハマっていて、絡まった毛糸をほどいたり
ほどいてまた編みなおしたりしていて。

人生はこの1本の毛糸のようで
色々な人と出会い、色々な体験をすることで、
そのすべての縁がさまざまな結び目の形になっていって
私という人生の、世界にたった一つの糸の形ができていく。

って感じていました。



ーーーーー
それから約10年後の2017年の春。
自由が丘の岩立フォークアートミュージアムさんへ、インド刺繍のカンタ展を観にいきました。
当時、カンタのカの字も、この世界では有名な岩立フォークアートミュージアムさんも知らず、で、なぜ観に行こうと思ったのか、さっぱりおぼえていませんが。


当時の展覧会パンフレット

そこで出会った、2メートル以上ある大きな布に刺されたカンタ刺繍に感動して、あまりに感動だったので受付にいた女性に思わず話しかけたら、
「明日、カンタ刺繍を日本で刺しているいる第一人者の望月真理先生のワークショップがありますよ」と教えていただいたのです。
が、その日は仕事の打ち合わせが入っていたので行けない。
でも、別に自分でカンタをさせなくてもいいし、こんなすごい刺繍できるようになるとも思えない…。とも思って、まぁ、いいかな。と思っていたら
その受付にいた彼女は、(あとから知ったのですが)望月先生のお弟子さん1号で、先生が東北だったか北海道だったか?地方に滞在してワークショップをしていた時に「弟子にしてください」と、わざわざそこまで行って弟子入りしたという女性でした。

その時、彼女はたまたまワークショップの打ち合わせか何かもあって、来ていたようで「それだったら先生の刺繍のクラスがあって、日曜クラスはまだ空いていると思うので、よかったら先生に直接電話して聞いてみてください。」と、なぜか私に先生の名刺をくれた。
そして先生の名刺の住所を見たら、うちの実家と同じ駅の場所だった。


ちなみに
私のこれまでの人生の中では、ポイントポイントで道先案内人※をしてくれる天使が登場するのですが、あとから思えば彼女はその天使の一人でした。

(※ちなみに道先案内人の天使の特徴は、こっちだよ。とその場所に導いてくれて、導き終わったら私の人生から姿を消してしまいます。)


私は名刺をいただいて帰ってきたけれど、どうしようかな?と思っていて。
刺繍は、小学校の時にクロスステッチにはまっていたことがある程度で、まったくできないし、先生とお会いしたこともないからどんな方なのかもまったく知らないし…そんなに気もすすまないかなぁ。と。

ただ、名刺を渡してくれた彼女が「…と名刺を渡しても実際、来ない人が多いんですけどね」と最後に笑って言っていた言葉が、なんだか妙に自分の中でひっかかっていたのもあって、結局、その数日後に思い立って望月先生に電話をしていました。

そうして、2017年の5月14日、日曜日に初めて先生のお宅を訪れ、
カンタ刺繍を習い始めました
。当時、望月先生は91歳でした。


カンタはインドのベンガル地方で刺されていた刺繍で、
日本で言えば刺し子、韓国ではポジャギのように、自分達が家で使うために刺されていたものです。
使い古した古い布を何枚か重ねて再利用し、刺繍を刺すことで丈夫にする。
刺されている紋様はその家それぞれ違っていて、今販売されている商業用のカンタとは違って、昔のカンタはとても自由で楽しく美しいものでした。

望月先生は40代の頃からインドに何度も行き、刺繍の刺された古い布の切れ端を手に入れて、それをひとつひとつ分解してひもといて、カンタ刺繍の模様がどうやって刺されているのかを独自で研究して、そうして日本で初めてカンタを刺しはじめた人です。
民藝運動で著名な柳宗悦さんの息子さんで美術史家の柳宗玄さんらとインドへ研究旅行をされたりしていましたので、今では手に入らない古いカンタをコレクションとしても多く持っていました。


私が最初にクラスに参加した時、
先生が、日本の刺繍とインドの刺繍の違いについて話していて、
「日本には四季がある。でもインドには宇宙がある!」って言われた言葉に
胸をぐっと掴まれたことを今でもおぼえています。

着物や帯などに施されるような日本刺繍は本当に美しい。それはやはり日本には四季折々がある環境だから、その四季折々の美しさが表現されている。じゃあインドは?と言ったら、そうした美しい四季折々などはない。
砂まみれで汚くて、生と死がそこに混ざり合って混沌としている。そういう環境だからこそ生まれてくるものは「宇宙」だと。


ーーーー
あの日からまる6年経った2023年5月14日、
私は望月先生のお宅で
クリスタルボウルで追悼演奏をさせていただきました。

望月真理先生、97歳。

過日3月29日に
先生は脳梗塞で意識を失い、倒れられてそのまま旅立ってしまわれました。

前日には元気に若い方々とワークショップをされていたそうで。
その日、次に刺すモチーフを葉っぱにしたいと思っていたらしく葉っぱの絵をテーブルで描いてどうやって刺そうかと考えていて。
キッチンで水に浸けてあった葡萄を、そういえば…と取りに行ったその時に倒れられたようだ。と。


ーーーー
3月29日、私は何をしていただろう。と、
ふと思ってカレンダーや日記を遡ると…

そうだった。
ちょうど昼頃に、先生が倒れた時間が何時だったのかわからないけれど、うちのクリスタルボウルが割れた日でした。


そして、その日だったか翌日の昼頃だったか。

うちの白猫がめずらしく廊下でずっと宙を見ていて、なんだろう?と思ったら大きな虫が静かに飛んでいました。
よくよく見たら普通よりけっこう大きめな、多分ハエのようだった。
どこから入ったのか。
窓は少し空いていたけれど、網戸はきっちり閉まっていてこんな大きなハエが入れる隙間などなかったはずなのに。

私はうちに入ってきた虫たちは猫にやられちゃわないように、ティッシュで緩く捕まえて外に出してあげることにしているのだけれど、
この大きなハエをつかむ勇気はなかった。

ハエは数分、部屋を見渡すように飛んで、あちこちにとまっていき、
ちょうど壁にとまったのでどうしようかなぁ〜。と思いながら、しばらくそのハエを見ていたら、ハエは丁寧にゆっくり両手を擦り合わせていた。

私はそのハエを見ながら、「これ、誰だろう?」と思った。

うちの母は、祖母や叔父が亡くなった時、
よく虫の報せを受けていて、夢に虫が出てきたり実際に家に虫がきたり、と、そんな話を聞いていたからだと思うけれど、
その時、そのハエは「誰か」のような気がしていました。

そうこうしているうちにまた飛び立ったので、あわてて窓を少しだけ開けて、「ここから出てね〜」と声をかけたら、ひゅ〜っと、本当にそこから飛び出て行ってくれた。滞在時間、ほんの数分。の出来事でした。



(つづく)



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