「引き際」はあるのかないのか(52歳の田舎のおばさん留学記5)
(写真は奨学プログラムに応募したときの英文エッセイの一部。今、仕事にしているようなことを、この時(6年前)何やら書いている)
「闘うだけが正しいわけじゃない! 時に休め、時に逃げろ!」
という命題が、全人類に必要な昨今、
歳を重ねますと、「無理したらアカン!」も、ここに強い戒めとして加わります。Do! or Don't?
年齢が30代40代でも自称「おじさん」「おばさん」と名乗れる中、正真正銘、まごうことなき「おばさん」である当時52歳(私が小学生の頃だったら「おばあちゃん先生」と言われそうな歳!現在でも・・・?)は、これらの命題や戒めにどう対処すべきなんでしょうか、本当にわからん。
頑張るべきなのか?「やめる」べきなのか?「引き際」はあるのか?
過去のメールをチェックすると、この奨学金の申し込み締め切りは本来10月15日。ところが応募者が少なく、11月13日にあらためて東京で説明会開催(この案内は英文メールでやってきました)。それに出席したワタクシ。そして、申し込み及び書類締め切りが3週間後の12月5日。説明会後に申し込んだTOEFLが12月3日受験(以前書いたように田舎からの受験は1日仕事)。
申込書(履歴書のようなもの)は、英語と日本語の併記。
志望動機書のような英文エッセイ(500wordsぐらい)。
もちろん、仕事、家事・・・。
一回一回挫けそうになる。
若い頃なら、自分の履歴の西暦なんて、すぐに書けるだろうけれど、50年生きていると「あの仕事、いつからいつまでだ?」と辿るのも面倒になる。
「大体、あの役職(若い頃のバイトの中身)の呼び名、って英語でなんて書くんだ?」検索!検索!
「・・・・・あ〜〜〜〜〜〜、もうやめよっかな〜〜〜」と、この程度で、すでに面倒になってくる。
「何言ってるんだ!これくらい頑張れ!」
と、書類を作成する。生活に”通勤ファッション”が存在しないため、申込書に貼る自分の写真を撮るのに着る服を考える。
英文エッセイ。当時やっていたSkype英会話の先生(フィリピン人)から、根本的なダメ出しを喰らう。「”52歳なのにどうして応募したかというと・・・”なんて書き方どうしてするの? あのね、アピールしないとダメなの! ”52歳とは、この奨学プログラムに応募する”最適な”年齢です。私こそが、いちばんふさわしく、あなた方は私を採用しないと損をしますよ!”という気持ちで書くのよ!」と言われ、なんだか感動して泣きそうになったり・・・。
もう、そっから!なので、何度も書き直し、
そして、TOEFLの勉強して、
「あああーーー! もうくじけそう!やめようか!
・・・・・・・・・・・いや、もう少しだけ頑張れ!!」
締め切りギリギリの12月5日に、書類をPDFで送信しようとするも、なぜか、送られない。
社会の”表舞台”から隔絶されている田舎のおばさんは、こういうとき、「自分が何か間違っている」と思うもの。
記録を見ると、午後2時から夜中まで、11回、いろんな形で書類を送信している。
送り先はアメリカなので、こっちの昼間にあちらは夜中。電話もできない。
「もうダメだ。これは、カミ様が、”おまえ、もうやめなはれ。申し込むべきではないのじゃ”って言ってるんだなー」
と、何回も思うけど、何回もトライする。
そして翌日、財団から「システムの不具合で、書類が受け付けられない状態でした。こちらからの返信がない方は、送られていない可能性があるので、もう一回送ってください」なるメールが来て、
その後、無事提出、とか。
前回書いた「成績証明書間に合わないかもしれない事件」もあり、
ハードルが目の前に来るたびに
「もうやめよう」「今が潮時」「やめるべき、と運命が言っている」と思う。
これを何回繰り返したことか。
日本を発つまで、まだまだこんな事件が続くのだが、それはまた。
っていうか、「引き際」ってあるのかな!!!
留学を後悔しているわけじゃないし、留学があったから今の自分(←満足)があるんだけど、
でも、プログラムの途中でアメリカから帰ってきてしまったことを考えると、
その前に「引き際」はあったのかな? いまだにわからないです。
教訓10;歳をとると「やめておいた方が良いのでは」という疑念がしょっちゅう湧く。が、「引き際だ」と「努力せよ」の境目がわからない。(未熟なだけか?!)
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