写真とフォトグラフとのまなざしの違いと侵食される欧米的価値観

暑いですね。明後日から長雨ですので、ひたすら投稿するかもしれません。

さて、2020年現在は写真や動画がを加工してアップロードするSNSや動画サイトなどが隆盛を極めていますが、写真とフォト(photography)の違いについて考えてみたので、ちょっとまとめてみます。

photographのラテン語の意味

英語で写真はphotographyとされています。先にあったのが英語なので、写真は先の単語の翻訳語なのでほぼ同一ではあります。

このサイトによると、photoは光、graphは画くとい意味です。つまり写真家と翻訳されるphotographerは光画家というのが本義的訳になります。

photoの動詞であるtakeについて

写真を撮るは英語ではtake a photoなんて言ったりしますが、私は英単語は1ワード1イメージで覚えています。takeは掴むというイメージです。「take me モノ」で「私にモノを掴んでこい」=「モノを持ってきて」のような感じです。さて、photographyは光の画でした。画ということは作れてしまうんですね。さらにtakeが使われている訳で、光の画を掴むというのが本義的な訳になります。

掴むには願望や夢なども当てはまると私は思っています。take me happyの用法などもそうです。ということは欧米的価値観だと写真は自分が好きなように作れるということですね。ありたい私が表現できるのです。

写真を撮るとは?

写真は真実を写すと書いてあるように、そのままのものを一部切り取っているような印象です。

撮るもweblioによると、選び取るという意味があり、現実の切り取りであります。加工をすることはあまり考えていないように感じます。ありのままの姿でそのまま残す。これが写真です。

東洋と西洋の自然への価値観の違い

 西洋の風土は気候的にそもそも自然災害などが少なく、比較的過ごしやすい環境で生きていました。従順な自然と名付けた人もいます。すると、自然は人間に従うという価値観があります。だから現実もある程度は塗りつぶすこともできるのでしょう。西洋の人に合理的な考えができる人が多いのもそういう優しい自然の中で、悠々と暇を持て余して暮らしてたからなんでしょうね。ちなみにschoolの語源は余暇という意味です。暇人だから勉強していたんです。

 東洋の風土は気候的に暑い年もあれば、寒い年もありさらには湿気も多いです。自然の恵みと猛威の両面を享受して生活していました。だから、自然に対して受け身な態度と忍従的な態度をとるといった人もいます。だから現実は現実でしかなかったのです。

まとめ

ある程度、東洋でも自然災害の猛威を土木技術の発達に伴い、若干克服できたこともあり、思想的にはやや西洋的価値観に近づいているような気もします。インスタで加工して映えするときにはちょっと思い出して見ていただけると嬉しいです。

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