コミュニケーションのズレ
もし子供が友達と喧嘩したとする。
親が理由を聞く。
喧嘩なんて双方の言い分があるけど、基本お互い様だったりするんだけど、
子供は自分が親に怒られたくないがために、自分を守るために、色んな言い訳をする。
こっちは悪くない、という風に。自分を守る。
私も、小さい頃は、親に怒られたくないから一生懸命理由をつけて、自分を守るために相手のせいにしていた。
一生懸命嘘をつきながら、自分を守ってきた。
子供同士の喧嘩で、自分の子供から言い分を聞く場合、我が子を信じたい、100%信じたいところなんだけど、果たして全てを信じて良いものだろうか。
喧嘩の発端は、どちらからかもしれないけど、
喧嘩の前にずっと心に溜まっていたものが、きっかけになる場合もある。
お互いコミュニケーションが取れていなかったり、気に入らないことがあったり、お互いの価値観が違うから生じていたりする。
気にならないなら、そもそも喧嘩にならない。
反応すらしない。
イライラもしない。
どちらかの価値観を押し付けたり、押し付けられたり、どっちが正しい、正しくないで、衝突は起こる。
自分の見ている部分と相手の見ている部分と、どこに価値を置いているのか違う。
だから、「これ間違ってるよ」「それだめだよ」「こんなのもできないの?」「バカじゃないの?」等々言ったり、言われたり。
「相手に自分の価値を押し付けない」
これが大切なんだと大人になって、しかも最近わかるようになった。
というか普通にやってしまうこと。
人にお節介でアドバイスしたり、自分の意見を伝えたり、押し付けたり。
もし、子供同士喧嘩して、我が子の言葉を鵜呑みにして、我が子と自分を同化してしまうと、相手が悪い、と言う風にしか見れない。
子供のことは全力で信頼すべきなんだけど、我が子であっても、自分と子供との境界線を作る必要がある。
境界線を作った上で、冷静に話を聞く。
子供だけじゃないけど、大人だって、何かあれば自分を守るために色々理由や言い訳や嘘をつく。
だって自分が1番大事だ。
もし親が、我が子は被害者側です、のスタンス。
こっちは悪くありませんのスタンスは、何の解決にもならないのではないか。
相手が悪い、のスタンスは、我が子を守るにはアリなのかもしれないけど、今後の人生また同じようなパターンがやってくるのでは。
違う手を変えてまた同じ問題にぶつかる。
私も昔やっていたけど、親は子供の悩みにどっぷり入っちゃう、それを自分の問題にしていた。
我が子であっても、自分との境界線を作ることが大切で、いかに客観的に話を聞くか。
「本当はどうしたかったのか」子供の話を聞く。
ついつい何かしら言いたくなるけど、一切言葉を遮らず、全て聞く。
意外に喧嘩のきっかけって些細なことだったりする。
喧嘩勃発したその前に、実はもっと前に感情が動いた、溜めるまでのきっかけがあるはずだから、きっかけを探す。
我が子が感情が湧いたきっかけ、相手の何を聞いて、何を見て、何をどう感じて、相手の言葉、態度、表情、等々。
何があったのか聞いていく。
そこには、自分が本当はどうしたかったのかが隠れているはずだ。
ぶっちゃけ子供同士の喧嘩なんて、親や先生はほっとけばいいと思っている。
これはあくまで私個人の意見。
自分たちで解決させればいい、そう思っている。
基本的に自分が解決できない問題はやってこないって思っている。
明らかな陰湿なイジメは、大人が話す必要あると思うけど、それ以外は、子供たちが喧嘩を経験することで、良いも悪いもお互いの気持ちを、相手を思いやる優しさを学んでいく機会なんじゃないかなと思っている。
人生経験を積む上で大切な過程だと思っているから、「喧嘩をしてはいけません」ではなくて、人とぶつかることで、学ぶことがある。
苦しくても、辛くても、嫌でも、悲しくても、寂しくても、悔しくても、全てのマイナスな感情を味わうことを学びなさい、と思ってる。
とても大事だと思っている。
大人が間に入って解決するのが当たり前だと思うと、大人になっても自己解決ができず、どうすればいいの??と依存型になってしまうのではないか。
人の悩みの殆どは人間関係。
人のいざこざの原因は「コミニュケーション」不足によるズレ。
自分の気持ちを押し殺して、勝手に相手に期待して、がっかりして、怒って。
そもそも、自分の気持ち(本音)を伝えていたら、そんなことにはならないのでは。
これは、私がずっとずっと経験してきたものだ。
「相手に言えば良かったじゃん」って簡単に解決できるものばかり。
遠慮や、習慣、文化が我慢させているかもしれないけど、
自分の気持ちを我慢する、
感情を飲み込むことで、
相手に気持ちが伝わらない、
ズレが生じる、
「コミュニケーション」がきちんと成り立っていれば、夫婦問題、親子問題、会社の人間関係、人間関係の悩みは起こらないのでは。
「良いも悪いも全てを含めた本音で話せる」
そんな人たちが増えていいと思うし、本音で会話できる人たちを増やしたいと思うし、忖度なしの、「本音のコミュニケーション」ができれば、世の中は平和になると本気で思うからこそ、私は自分が本音で生きると決めている。
日々試行錯誤しながら本音のコミュニケーションをしている。
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