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檸檬

以前、「りんご」について投稿したのですが、
今回は「レモン」への私見を書いてみたいと思います。
なお、「果物シリーズ・その 2 」 的な
シリーズ化ではありません ・・笑

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ご存知の方もいるかもしれませんが、
何年か前、「丸善・京都支店」の閉店が決まった時、
「置きレモン」が、どんどん増えていったそうです。

置きレモンとは、 
梶井基次郎の小説『檸檬』の主人公が、
近所の果物屋で買ったレモンを「レモン爆弾」として、
京都「丸善」の本の上に置いた――それをまねて
閉店を惜しむ客たちが、そっと置いていったもの。

レモンばかりか、メロンや、パイナップルまで
あったそう(驚)。

「こんなにも、皆に愛してもらって・・・」。
スタッフは、いたく感激したのだとか。
けれど、念のため、忘れ物としてバスケットに集め、
文庫本の『檸檬』の脇に、置いていたそうです。
なんとも微笑ましい話です。

カドブン。実物はもっとレモンイエロー


「檸檬」といえば、さだまさしの曲。
それも連想してしまう、昭和な私。
親がさださんの歌が好きで、よく聴いていたもので。

それこそ、梶井の『檸檬』からヒントを得た楽曲らしいけれど、
この曲もまた、一篇の短編小説のようでした。
しかも、深くて、難解な・・・

或の日、湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬 細い手でかざす
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀 (カナリア) 色の風が舞う

さだまさし「檸檬」最初の部分


歌い出しからして、もう純文学。
しかも、レモンはどこかで盗んだものという・・・
なので、よけいに物語的というのか、
冒頭から非現実世界へ投じられる感。

そのあと舞台は、湯島聖堂→聖橋(ひじりばし)へ。

食べかけの檸檬 聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う

車体の赤色が、投げたレモンの黄色と交差。
映画のワンシーンのような、鮮やかさ。
色彩の仕掛けが、この曲はけっこうある気がします。
(冒頭の引用もそう)

1番の最後で、女性 (君)は、

川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ

この台詞(最後の二行)は、とても詩的で、暗喩っぽい。
それは、別れを予感しているようでもあるし、
レモンと共に、鬱屈した思いを投げ捨てた言葉のようにも思えます。
それとも、意味など考えずに、流れていく言葉のムードに
酔いしれるだけでも、十分なのかもしれません。

いずれにしても、青春時代の繊細で、どこか退廃的な心境を、
曲全体を通じて、美しいメタファーで表現していると思われます。
(※最後に歌詞をリンクしておきます)

それは、梶井の小説『檸檬』の冒頭の

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。

とも、合い通じる空気感でしょう。
そんなやり場のない心情や、若気の至りとも呼ばれてしまう
ふるまい(いつか笑い話になる分)をレモンを用いて、
みずみずしく魅惑的に、文学・音楽へと昇華した二人の天才・・・。
それを享受できる幸せに、あらためて感謝をかんじます。

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(蛇足)

「レモン」と「檸檬」の違いは何でしょう――。

レモンはレモン色だけど、
檸檬はもう少し黄味が濃い感じがする。

レモンはすぐに書けるけど、
檸檬はいつまでたっても書けない(特に「檬」が・・)。

レモンは食べるものだけど、
檸檬は、描かれるもの。

檸檬は、ビタミンCではなく、
青春の傷つきやすさや、不条理さを内包していて、
それでいて、ひかりに満ちているもの。
私には、もう決して手の届かないもの。


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お読みいただき、ありがとうございます。
「檸檬」の歌詞(歌も)はこちら  →   
(懐メロだけど、温故知新ってことで・・・)


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