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元イジメ被害者がロストジャッジメントをプレイして

メインストーリーでオキシトシンから説き起こすところからして、イジメについてよく調べていると察せられた。だが前作ジャッジアイズの時とは異なり、前のめりで続きが見たいという気持ちにはなれなかった。自分に被害者経験があるからである。

当時は裁判こそ起こさなかったが、だんまりを決め込む学校やむしろ加害者に与する先生たちに対し怒りを通り越して失望するばかりであった。悪夢のような集団から逃げに逃げることしか生き延びる術がなかった。自分が受け入れてもらうという感覚を見失う時が未だにある。

ゲーム内で様々な角度から描かれる惨たらしさは、イジメ被害者としてかつて封印した恨みの数々が込み上げて吐き気すらもよおさせた。

それでもなおプレイを投げ出さなかったのは、様々な人を巻き込み復讐心を増幅させながら闇へと突き進む正義に対峙する主人公がどのように決着をつけるのだろうかという興味が、まずは優ったからだろう。

ところで、自分はゲームの実況動画を観るのも好きである。クリア済みだった場合は実況やコメントに「そうそう」と共感しながら振り返る楽しさがある。前作を知るきっかけとなった実況者がロストジャッジメントの実況をアップしていることを知り、クリア後に観てみることにした。

しかし本編序盤、飲食店の店長に堂々と因縁をつける生徒達(のちに描かれるイジメの加害者でもある)のシーンを見終えてから、これ以上、続きを追うことは無理であると感情が拒否した。

店長を取り囲んで集団で追い詰め、あまつさえ自分たちに都合のいいようにスマホで動画を撮影している情景を目にしていた時、実況の声もコメントの存在も自分から遮断された感覚があったのを覚えている。孤立無援の店長の心境に被害者だった過去が同一視された。フラッシュバックの闇に私は囚われた。

実況者のユーモアと優しさもコメントのにぎやかさも前作実況と特段変わりないのに、なぜ今作実況は視聴したくなくなってしまったのだろうか。

このゲームの主人公は探偵ときに弁護士として、イジメの被害者・加害者・傍観者それぞれに介入する立場にある。声を上げることの困難さや法制度の限界、関係機関の保身や口封じとぶつかりながら、彼は真実を追求し明るみにしようと苦闘する。単独行動だけではなく仲間の協力も得ているおかげで、分厚い闇を切り開く意志が弛むことはない。

元イジメ被害者の自分は、遠回りであっても光のある方向へ進むことを諦めない主人公とコントローラーで繋がっていたからこそ、つらい場面を観てもきつい音声を聞いても堪えることができたのではないか。

のみならず、過去の自分に見せてあげたかった希望の存在としてイジメの現場を疑似体験し直すことによって、単に己の感情と向き合うだけでは解決しきれなかった無念さをも弔うことができたとすら思うのである。

また、加害者と傍観者の立場にいたことがある人についても、言ってもらいたかったであろう言葉を主人公は言っていることを付け加えておく。被害者側ばかりに感情移入が偏らない物語であるから信用できるのである。

ロストジャッジメントはストーリーが秀逸であるのは確かだが、実況プレイ動画視聴だけで済ませるには勿体ないゲームであると私は言いたい。

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