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うまく弾けたしるし

遺作嬰ハ短調を終えた彼はソファーのほうに進む。限られた観客のうちひとりは澄んだ聴覚を立てていたが、ひとりは夢の中にいた。
「…紺野のヤツ、お構いなく寝ているな。」
「そうですねえ。気持ちよさそう。」
そんな紺野をよそに設楽は彼女の耳元で早口で囁いた。
「想定通りだ。ノクターンは夜の曲だろ?ぐっすりといってくれたほうがいい。」
彼女はきょとんとしている。
「今の話、あいつに言ったらコロすからな。」
ソファーからピアノのあるほうへ戻りながら設楽は説明した。
「演奏側からしたら寝ている客なんてかわいいものなんだよ。むしろ俺の音楽に聴き惚れているってことだから、悪くないのさ。」
この講釈が聞こえたのだろうか。
「……んん…ん?はっ!」
ようやく紺野が目を覚ます。顔からして狼狽えている。
「ぷっ…あはははは。おまえの間抜けヅラは見させてもらったぞ。」
設楽は、そして彼女も笑った。