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電子書籍写真集 『氷上の田中刑事』全2巻を視て

これから記そうとするフィギュアスケートの演技について、私は実際にこの目で観てはいない。かつ、日本を代表するアニメ「エヴァンゲリオン」の原典には当たることができない体質を自分は持っている。それでも知らないなりにではあるが写真集に脈打つ音楽を言葉を通じて「録る」という試みである。

公式サイトより

「ロミオとジュリエット」
愛しいひとに視線を注いだのも束の間、白肌も玲瓏な青年は同じ瞼を憂いで重たくさせながらひとり入ってくる。彼女から離れている時間が経過するごとに深まる苦悩が胸を締め付ける。そして思い詰めた彼はナイフを握りしめ自らへと向ける。深く深く刃は刺さり身体を踞らせ、脇腹を押さえながら臥してゆくさまは無言の絶唱であり、息絶えた彼から伸ばされた右腕の指先は何を示していたのだろうか。

「Je te veux」(振付:町田樹)
黒っぽいの中折れ帽と栗色のコートに身を包んで彼はふと現れた。口許の煙草に秘めた想いをひとしきり燻らせて終わる姿は渋い。帽子を取り去り重いコートを脱いで艶やかなシャツに切り変わると、思慕にあるがまま身を任せ舞う切なさを乳白色の生地が引き立てる。その果てに意を決して彼方に見えた赤桃のスカーフへと彼は手を広げ、掴み、残り香を愛おしむように激しく己の胸に押し当てるという流れには鳥肌が立つ。これを実際にアイスショーでご覧になった方々は陶然と立ち尽くしていたことだろう。

しかも画像を拡大してみると(これが電子版の利点)、驚くべき表現が見えてくる。

それはスカーフに触れる手指。うっすら汗をかいた額と寄せた眉根に凝縮された彼の熱い眼差しが注がれるスカーフを受け止めた両手は、あくまでふんわりと生地を横たえさせている。そして胸に押し当てた時も、力任せにした時に出る歪みの皺がない。指先を揃えて身体から離さないギリギリの力加減で押さえている。あたかも腕の中に想い人がいるかのように限りなく優しいのである。

曲名の日本語訳は「お前が欲しい」だが、この田中刑事の場合は「あなたが欲しい」ということになるだろうか。

「Whiplash」
暗闇に白いサスペンダーが浮かび上がる。充実した身体のラインに沿うハイウエストのパンツに臀部と脚を包み、彼はリンクに滑り入る。張った肩に繋がれた長い手腕、逞しい脚、満ちた腿を機敏に動かすのと同時に、瞳を隠す程度に伸びた髪が彼の真剣な顔を閉ざしたり露わにしたりする不定形な美に目は釘付けになる。

公式サイトより

「paris」
満を持したエヴァンゲリオンに彼は俯く。並々ならぬ気迫だが、指を縁取るエメラルドグリーンと甲が紫の手袋に包まれた手首上を交差させ敢えて抑えているかのようなポーズで始まる。そこから身体をもう一段階収縮させてから、かねてより彼が温めてきた目配せや指先までこだわりが詰まったモーション群が整然と溢れ出す。

この写真集はスケーティングという流れを切り取った断片の連続であっても、開く者の感情に途切れることのない非論理のざわめきを起こしうるのである。

※公式サイト