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「情報なき国家」に生まれたものの使命として- 堀栄三著:「情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記」

中学生の頃から歴史,軍事に興味のあった私は「戦争教育」と言うものが嫌いだった.その時は教材等の粗を突っ込んだりするなど中学生らしい行為をしていた記憶がある.学校で提供されるどの教材を見ても「戦争を繰り返してはいけない」,「戦争は悲惨だ」というあまりにも自明かつ何ら情報量がない記述しか存在しなかった.その程度の事項なら誰でも知っている.
ではなぜ,いまだに戦争は無くならないのか?もし無くならないと仮定して,ではどうすれば少なくとも日本を戦争の災禍から防げるのか?...学問を目の前の具体から逃れて考えるスキル,活動だと定義するならば,一切の抽象的思考が存在しない「戦争教育」は少なくとも学問,学びではないと結論づけられるだろう.

歴史を前に我々がするべきことは,一切の先入観なく事象を考え,そこから知見なり教訓なりを引き出す「学び」である.先の太平洋戦争は,その意味では実に興味深い事象が存在している.そもそもの日米開戦に至るまでの過程しかり,実際の戦略,戦術的判断しかり.ただ,我々日本人にとって一番重い事象は,先に挙げた230万の戦死者のうち,おおよそ2/3が餓死,戦病死,輸送途中の海没など「戦場にてまともな形で戦い,死んだ」人ではないというものだ.戦争にはもちろん感染症などによる死はつきものなのだが,それにしてもこの数字は異常と言わざるを得ない.
我々の国は,遠くない過去に数多の国民を名も知れぬジャングルで食糧が尽き,ただ死を待つのみという状態で放置し,またすし詰めの船内で何もわからぬまま溺死させたのだ.なぜそのような状況を許してしまったのか?…もちろん太平洋戦争のような国家総力戦体制では人命の価値が下がる傾向にあるし,昭和期の帝国陸海軍では「命は鴻毛より軽し」という言葉に代表される人命軽視の風潮があったのも事実である.
ただ,それは他の国にも多少共通する事項であるし,我が国だけがこのような異常な数字を叩き出してしまった理由は何か特殊なものがあるに違いない.そこを考えられるのがこの「情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記」である.結論から言えば,1944年までの帝国陸海軍は「情報」の価値を軽視しきって戦争を行っていて,その当然の帰結の結果としてその数字がある.連戦連勝に驕り,それまでの作戦で得られた貴重な教訓に目を向けず自分の都合のいいように作戦の計画を練る.ジャングルという戦場がどのような性質のものかすら調査せず,その場の勢いで侵攻計画を策定する.とりわけ酷いのは3000m級の山岳や前人未到のジャングルが続く中陸路で撤退せよと現地部隊に命じ多数の餓死者,戦病死者を出したニューギニア戦線であろう.ニューギニア戦線の惨状は当時から「死んでも帰れぬニューギニア」と歌われるほどであり,実際20万人の派遣された日本軍のうち,生きて祖国の土を踏めたのは2万人のみと言われている.
ミッドウェー,ガダルカナル,ニューギニア等の戦場において文字通り血で払った代償の末ようやく気づけた時にはもう戦況は「絶望的抗戦」と称される状態に陥っていた.手を打とうにも自らの事情が許さず,そして十分に対策が取れぬまま相手が次々に新しい行動を取っていく.「情報」の価値,「己を知り,敵を知った」末の努力はペリリュー,硫黄島,沖縄などアメリカ軍からも称賛された戦いにおいてようやく結実したが,もちろん大局を変えるには至れなかった.

ではなぜ我が国は「情報」を軽視してしまったのか?日清,日露,第一次大戦と勝利を重ね,驕りが生まれた結果硬直化してしまった旧軍の組織体制はまず考えられる原因であるし,そもそもの国力の限界だという原因もある.国力的な問題については(いまだに自衛隊の懐事情は寒いという声もあるが)ほぼクリアされているとして,前者の,旧軍という組織の性質は十分に研究し,深く反省する必要がある対象である.本文の最終章に,戦後すぐ米軍が日本の敗因を情報という面から分析した結果について述べている箇所がある.曰く,日本は「国力を見誤り」,「陸海軍間での情報伝達がうまく行われないなど組織が不統一で」,「情報関係のポストに優秀な人間を配置しないなど,そもそも情報を軽視しており」,「精神主義が誇張されていた」とある.
怖いくらいに的を得た指摘ではあるが,これらの性質について,遠い過去の話とするには,今の我が国における企業などの組織を対象とするとあまりにも共通する要素が多い気がするのは筆者だけだろうか.今現在,「停滞している」,「衰退した」と評されることが多い我が国ではあるが,この「第二の敗戦」の原因は「情報の軽視」ではないだろうか.無為に死なせた140万の人達の犠牲について,我が国は十分に学んでいるとは言い難い.歴史から学べることは「我々は歴史から学んでいない」ことだけだとする指摘はある意味正しい.
しかし,それでもなお我々は歴史から学ぼうとする姿勢を続けなければいけない.特に,先の大戦で軍民に限らず多数を「棄民」した歴史を持つ日本という国に生まれたものの使命として,その犠牲を無駄にせず,再びそのような事態が起こらないようにしなければならない.その端緒として,この「情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記」は役立つと思われる.

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