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小泉悠『ウクライナ戦争の200日』【基礎教養部】


 今まで何度「歴史の教科書でしか見たことない」と感じただろうか.長らく歴史の表舞台から消えていた国家同士の正面戦争,ウクライナ戦争が勃発してもう7ヶ月が経ってしまった.歴史上の出来事だと思っていたのは戦場での事象に限らず,戦闘が終わったはずの地域におけるロシア軍の残虐行為も該当する,4月にブチャで拷問され,殺害された形跡のある遺体が多数発見されたとの報道を耳にしたときは,怒りよりも「なぜロシアはこのような練度もプロ意識も低い部隊を雑に投入しているのか?」とその事態を理解できなかった.
目の前の他者を理解することも困難なのに,生まれ持った場所も歴史も異なる他人の集合体である国を理解するのはさらに困難である,この世に存在する国の中でも最も複雑な理解しにくいとされる国はおそらくロシアであろう.世界一位の国土面積,さまざまな民族,長い被虐とそれを拭い去ろうとするかのような歴史がそうさせるのだろう.私も3年ほど前ロシアを二週間ほど旅行したのだが,そこで出会った人たちは一般的にイメージされる「冷たい」国ロシアという印象とは真逆の良い人たちであったし,なぜこのような人たちが集まる国があのように血濡れた歴史を持つのであろうと疑問に思ったものだ.

しかしながら,我々日本にとってロシアは300年ほどの付き合いのある,動かしようのない「隣国」である.経済制裁で半ば途切れかけているとはいえ経済上での交流はあるし,また文化面等の草の根的な交流もまだ存在するであろう.実際,東京からウラジオストクに飛ぶ方が那覇に飛ぶより近い.我々は,このあまりにも理解が難しい「ロシア」という国を少しでも理解し,向き合わねばならないのだ.

そういう意味で,純粋な軍事面だけではなく思想的,文化的な様々な観点からこのウクライナ戦争を眺め,議論しているこの書籍は本戦争,及びロシアを分析する上で有用な知見を提供する.我々は高度な民主主義や自由主義に基づく政治体制及び社会体制のもと日々を過ごしているのでそれらに対する疑問が湧いてくることは少ないが,ロシア人にとってそれらは常に正しいとは限らないかもしれない.実際,暗黒とも言っていいソ連崩壊後,90年代のロシアを生き抜いた人たちにとって生活を大幅に改善させたプーチンを支持することは自然なことだと思える.目を覆いたくなるような事象があまりにも多発している本戦争においては忘れがちになってしまうが,「善/悪」の二元論で片付くほど国際情勢は単純ではない.もちろん,ロシア軍が行なっている市街地への無差別攻撃や残虐行為は紛れもない犯罪行為ではあるが,意志の表明や広く議論をすること以外に有効な手段をほぼ持たない我々にとって「なぜロシアはそのような事件を引き起こすのか?」といった背景事象を考えることが有益な議論,及び有効な自分の意思や考えの伝達につながる.

そう,我々は歴史の目撃者として,本戦争,及びロシアという国に真正面から向き合い,観察し,思考し続けなければいけない.その際における強力な道具として私は本書を推薦する次第である.

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