スーツとはジャズである…?
私は俗に、スーツを着る仕事というのを今までしてこなかった。
単にそういう仕事に恵まれなかったといよりは、そういう仕事を選んでこなかったからだ。
スーツを着て仕事をする自分が想像できなかったし、第一、スーツを着て仕事したくないという漠然とした考えがあった。
きっとサラリーマンの印象自体が良くなかったからだろう。
10台20台前半特有の社会・体制に反抗したい気持ち…これを更新する機会が自分には訪れなかった。
結局ぼやっと、「スーツ着て仕事したくないなあ」という気持ちだけが残ってしまった。
そんな私が今スーツを着て新しい仕事をようとしている。
それも前向きに、だ。
それはスーツの中にジャズを見出したからだ。
といっても私はジャズ通などではない。
村上春樹のように、誰のどのレコードの演奏が良くて… なんて蘊蓄は一つもでてこないし、そもそも好んでジャズを聞くわけではない。
気に入った数曲をたまに聞いたり、ジャズピアノ・ジャズギターを演奏しようと練習したりする程度だ。
ただジャズが非常に洗練・完成されたものであることは私でもわかる。
ジャズの楽曲には基本の構成がある。
イントロにはじまり、その楽曲のテーマのメロディーが演奏され、
ソロ≒アドリブ(インプロヴィゼーション)をとり、そしてテーマに返ってきて終わる。
ソロはある種ジャズの目玉に思う。
プレイヤーそれぞれが感性をぶつけるのだ。
しかし、ソロ≒アドリブといっても完全に何をやってもいいわけではない。
というよりできることはかなり限られている。
コード進行はあらかじめ決められているし、そのコードに合うスケール・メロディも限られている。
これは創造というより選択という行為に近いように思う。
決められたコードの中で自分が最良と思うノートを選び取っていくのだ。
それなのに十人十色、千差万別、ものすごい数の名プレイがある。
そう、これにふとスーツスタイルを重ねたのだ。
コード(Chord/Code)にあわせて、自分で良いものを選んで表現する。
これってジャズといっしょじゃん!と。
型破りになんでもかんでも好き勝手するのではなく、
ある種の制約の中で自分が最良と思える組み合わせを模索する。
これがすごく、洗練されていて素敵に感じられた。
だからそういう条件の中で自分を表現してみようと思った。
恰好をつけてこういう語りをしてみたものの、
実状は、「突然決まった次の仕事がスーツスタイルで四苦八苦しながら
服を選んでいたらなんだか楽しくなってきた」という身もふたもないことを言いたいだけの記事だったわけである。
明日は靴を買いに行く。
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