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冒頭からみる「搾取する/される」(NOPE考察・ネタバレ注意)

※以下NOPEのネタバレがあるため、未鑑賞の方は注意。

ジョーダンピール監督作「NOPE」を観に行った。

ジョーダンピールといえば、怖いというよりは社会問題を交えた巧いホラーが得意に思われた。しかし、今作ではさらに監督技術が昇華し、今までやや濃かったメッセージ性をいい塩梅に下のレイヤーに置きつつ、純粋に恐怖が増した怪物ホラーを誕生させてしまった。
詳しい感想はフィルマークスに載せているので、もしよければ下記リンクから。

本記事では、NOPEにおける問題提起の一つであろう「搾取する/される」について、主に冒頭(ナホム書の引用~オープニングクレジットまで)にフォーカスして個人の見解を交えて考察している。
個人の見解としては、今作はSNSにおいて関連性が高いように思えた。
これに関しては好き勝手に書いているので「ここは違う」等の様々な意見があると思う。根拠がないと考察ではないという意見もあるが、そういった軽いものから生まれるいい考察もあると思うので、私も好き勝手に書いてみる。
なにより、「NOPE」は謎が多く多様な視点で考察できる素晴らしい作品なので、本記事もしくは色々な考察記事を見てリピートしたくなってくれれば幸いだ。(まだ未鑑賞の方が残っているのならブラウザバックしてぜひ観てほしい。)



1. ナホム書の引用からみる「搾取する/される」

”私は汚らわしいものをあなたに投げかけ、あなたを辱め、見世物にする”

旧約聖書 ナホム書 3章 6節 より

人間社会において、見ることは見世物にするのと同義である。そして、その体験から出てくる罵倒や批判、何気ない一言は汚らわしいものだ。しかし、見る人達は汚らわしいという実感はない。目に映る光景を搾取することで、当たり障りのない一言を”排泄”して対象(見られた人達)にぶつけることで、無意識に辱め、見世物にするのだ。

我々は無意識にスクリーンの向こうのモノを搾取している。

「NOPE」においては、
『搾取する側』=Gジャン
『搾取される側』=人間をはじめとした動物
ととらえると話が見えてくる。

つまり、このナホム書の引用は「NOPE」の行く末を暗示していたことになる。

現代においては、SNSが普及し、「情報という消費物/意見の名を被った排泄物」が広がる現代社会を暗示しているようにも思える。

現代社会に蔓延る搾取の代表格としてSNSがあるが、それは冒頭における"父親の死"でも見えてくるかもしれない。

2. 父親の死からみる「搾取する/される」

上を見るOJの父親

父と子(OJ)が何気ない会話をしていたのに、起きてしまった最悪の奇跡。突然上空から雨のように物体が降ってきて、父に運悪く当たってしまったのだ。よく見ると、コインとともに鍵と思しき物が降ってきていたことがわかる。

この鍵からは"プライベートの破壊"を彷彿とさせる。

現代にはSNSが溢れかえっている。その機能の中にはフォローフォロワーの関係にないアカウントからの閲覧を制限することができる、通称「鍵垢」なるものが存在する。これはTwitterやインスタをはじめ、どのSNSにも大抵は備わっている機能で、馴染みは深いかもしれない。この機能は知っている人にしか見せないようにプライベート空間を作り出すのだが、不用意であると誰かにそのプライベートが拡散されてしまう。
見知らぬ間に鍵は開けられてしまうことがあるのだ。
そして事情も知らぬ他者によって好き勝手に言われる。
まるで汚らわしいものを投げつけて辱めるようで、ナホム書そのものなのである。
有名人に至ってはSNSを超えて現実までパパラッチなどがプライベートを求めて追ってくるわけで、他人が自分の部屋の合鍵を必死に作ろうとして執拗に鍵穴に刺してくる感覚は恐怖でしかないはず。

こういったプライベートの破壊は本編での父親の死でも見られると思う。

父親はテレビ業界に馬の調教師として参入しているわけだが、OJに対する態度を観た限り業界内ではなんでも言うこと聞かせられるような位の高い職業ではなかったように思える。OJが撮影に関わるのが初めてで、しかもそんな活発な性格ではないのもあるかもしれないが、それにしてもテレビ業界人の言うことの聞かなさは彼の原因ではなく、昔から続いてきたように思える。父親も、そのまた父親も、うまく切り抜けてきたようだが、明らかに危険な行為を注意しているのに聞かないのは雑に扱われている証拠と考えられる。そんな搾取されてきた父親は、業界人によって雑にプライベートが奪われた可能性がある。
ここはやや強引かもしれないが、私はあながち間違っていないと思っている。今作のポイントの一つは、"最悪の奇跡"である。
他人の会話は話題の対象を傷つけるにも関わらず無責任すぎるのは、今までの人生を振り返るとわかることで、他人にとって軽いことで相手は深刻なダメージを受けるのも知っている。
本編ではそれが"運の悪い死"として出ているわけで、大袈裟かもしれないがありえないことではないはずだ。
「彼は良かったのに」と業界人は言うが、それは自分たちにとってただ都合が良かっただけではないのだろうか。父親の気持ちも考えずプライベートについて配慮のない言葉をかけていたのかもしれない。そんな無責任な会話でプライベートを雑に搾取された者が辿る末路としてはこのような結果になりかねないのだ。

冒頭からは離れるが、中盤にジュープをはじめとした観客が全員食べられた後、OJの家を襲っていくシーンでも鍵が落ちてくる。これは人間のプライベートを食べた後、用済みになって捨てられた汚らわしい排泄物にみえる。


以上は現代での搾取の話だったが、昔のSNSがなかった時代はどうだったのか。

それは歴史を俯瞰するとわかるかもしれない。搾取における無意味さを捉えるとすれば、逆説的には歴史から俯瞰できない部分に表されている。それが顕著に見られる冒頭は、"オープニングクレジット"だ。

3. オープニングクレジットからみる「搾取する/される」

正方形の中に映し出される「キキパーマー」

闇のように暗い正方形の枠の中に、ダニエルカルーヤをはじめとした俳優の名前が映し出される。このシークエンスの終盤に、人が乗馬し走らせるような白黒映像が、またもや正方形の中に映し出される。
誰しもがこれを観て「おや……?」「意味深だな……」とは思うが、初見ではサッパリである。しかし、この意味は中盤で密かに、もしくは終盤で確実に判明する。それも、驚きのクライマックスである怪物の真の姿の顕現によって。

NOPEのオープニングクレジットは、まさしく『搾取する/される』を表している。

謎の正方形は、Gジャンの”口”なのだ。作中でも恐ろしく描写されていたとおり、怪物は目を合わせたモノ全てを吸い込んで消化し、無残な姿で排泄する。
そして、『搾取する側』が持つ"口"の中で、文字や映像が流れる。つまり、口の中は全て『搾取される側』に立たされていることになる。正方形の枠の中に映し出される名前を持つ人達は、我々鑑賞者に”作品”として消費されるメンバーである。
これから彼らはチンパンジーのように”見世物”にされる。


馬の白黒映像に関しても例外ではなく、これまで搾取されてきた映像の代表例ともいえる。今作では、そういった歴史的な映像を俯瞰しただけでは見えない、搾取されてしまった部分に光を当てようとしている。

本記事のサムネイルにも設定している馬の映像は、1878年にエドワードマイブリッジが撮影した連続写真で、後の映画製作に多大な貢献を与えた作品である。(ちなみに、このように写真が連続することで動いているように見える錯覚を「仮現運動」と呼ぶ。)マイブリッジの映像自体が歴史の指標として消費されてきたのはもちろん、それはすなわち映像の中にいる"人物および動物が消費されてきた"と言い換えることもできる。しかし、実際は作品だけが後世に残り、中に移る生物は歴史の中に葬り去られてしまった。つまり、映像の中身は乱雑に消費された=搾取されたのである。

しかし、本編ではそのあとすぐにキキパーマー演じる主人公の妹が騎乗した人物は黒人だったと知らせようとする。日の目を見なかった部分に少しでもスポットライトを当てさせることで、うわべだけの消費を防ごうとしてるように思えた。

ちなみに、四角形のスクリーンでNOPEを消費する我々もまた『搾取する側』である。これはメタ的な多層構造をとっている。
また、映画のスクリーンはもちろん、スマートフォンの画面も四角形である。日常的に我々が搾取する側に立っていることをこのシークエンスから思い知らされるのは気味が悪いものだ。

まとめ

NOPEにおける問題提起の一つに「『搾取』への批判」があると考えられるが、これは見事に冒頭で示されているといえよう。

ここでいう『搾取』とは、表面だけをみて作品の経緯や登場人物の素性を知ろうとしないことである。
そしてこの『搾取』はメディアの普及している今ごく一般的な行為とされる。
たとえば、SNSに誰でも気楽に写真や動画を投稿できる現代、人々はそれらを消費し、自身は消費される。
しかし、消費するべきものが多すぎるとどうだろう。
コンテンツの表面を見る時間しかないのである。

すなわち、現代社会は搾取せざるを得なくなった時代なのだ。しかし、今作はそれに待ったをかける。映像の表面だけを俯瞰するのではなく、映像の向こう側がどれほど苦労を経ているのか、どんな事情があるのかを、我々はしっかりと知っていく必要がある。何も知らないで汚らわしいものを投げつけるのは、無責任で、罪深いものなのだ。

そういった意味で、搾取が一般化した現代に一石を投ずる作品として、NOPEは傑作である。




あとがき
なぜいきなりNOPEの記事を出したかというと、映画館で鑑賞した直後に書いてほったらかしていたためです。大抵はそのままポイ捨てしてしまうのですが、意外と書いていたので加筆して出しました。
9/6に書き始めてたらしいです。書くだけ書いて出さない癖直したいですね。書き加える前に、この記事の冒頭で「先日NOPE観に行った」って書いてあって、いやいつだよとツッコミ入れてしまいました。
以上。

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