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百万弗四人衆

以前このnoteで、プレゼンの時に言いたいことはできれば3つ、多くても5つ、という奇数の項目にまとめると聴衆に刺さる、とお伝えしました。

しかし、野中郁次郎先生の例を挙げて、4つで世界を描くことも効果的であるとも言いました。本日はその4の事例をもう一つ。

エルヴィス・プレスリーは若い方々にとっても一度は聞いたことのある名前でしょう。ロックンロールの元祖と言われ、キング・オブ・ロックンロール、全世界のレコード・カセット・CD等の総売上げ6億枚以上、世界史上最も売れたソロアーティスト、等々、様々なかたちで賞賛されています。そのエルヴィスは音楽業界大手のRCAと契約しあの世界的に有名な大ヒット曲「Heartbreak Hotel」を1956年1月に発表しますが、そのデビューはテネシー州メンフィスにあるサン・レコードという地方の中堅レコード会社からで、シングルレコードを何枚か発売する傍ら公演旅行も行いながら南部で一定の人気を博していました。

で、RCAに移籍し大ヒットを飛ばした1956年の12月、ひとつの事件が起きます。事件と言っても何か良からぬことと言うわけではありません。すでにRCAに移籍していたとはいえ懐かしい故郷のサン・レコードの録音スタジオにエルヴィスが何気なく寄ったところ、当時のサン・レコードの人気歌手の一人であったカール・パーキンスが、サン・レコード所属の新人歌手でありピアニストでもあったジェリー・リー・ルイス(後に彼も人気歌手の仲間入りをします)のピアノ演奏をバックに録音していた場面に遭遇したのでした。さらに偶然にも、もう一人の人気歌手ジョニー・キャッシュもそのスタジオにいたのです。このように人気者4人が奇遇とはいえサン・レコードのスタジオにいたのですから、誰が言うともなくセッションを始め、それをサン・レコードの社長サム・フィリップスが録音し、「ミリオン・ダラー・カルテット」としてレコードが発売され大ヒット作となり、後にはこの場面がミュージカルとしてブロードウェイで上演されました。凄いカルテットですね。

で、皆さんに強調したいのがそのセッションの中の一曲、チャック・ベリーの名曲「Brown Eyed Handsome Man」。

聞いておわかりのように、さあうまく録音してヒットさせるぞ、なんていう気負いがなく、音楽が心底好きな4人が、気楽に、楽しく、誰に聞かせるというでもなく、自分たち自身のために演奏し歌っているというほほえましいセッションです。常に笑い声があり、歌詞の順番が違っても平気、途中で歌詞を忘れたら後ろのほうで女性が教えてあげて歌い続ける。そう、とてもいい雰囲気です。さらに、「Two-three the count with nobody on」、と歌うべきところ、「One-two the count」、と間違えたことに気がつきすぐに歌い直す。それでも一つの作品としてとても優れていることに感激します。だからこそ録音されレコードとして発売され世界中が楽しんだ演奏でした。これは遊びじゃないか、と言う人もいるでしょう。そうではありません、彼らは歌や演奏と言う仕事を楽しんだのです。

新卒の3年以内の離職率が3割と言われます。その理由は様々でしょうが、よく言われるのが、「この仕事では自己実現ができないから自分探しの旅に出る」、「入社前の期待といまの仕事内容にズレを感じる」、「この会社でこのまま働いていたら成長できないかもしれない」、等々。残念ながら離職してしまうことを非難はしませんが、でも、3年以内の離職だとすると、どれほどその会社なり、その業界なり、ビジネスの世界を理解できた結果なのでしょうか。まずは目の前の峠に登ってみる、そこに広がる光景をあなたはまだ見ていません。仕事を楽しめる、と言う経験がができずに惜しくも離職してしまったのです。

エルヴィスたち4人は歌を歌うことが仕事です。ヒットしなければつらい仕事です。でも彼らはその仕事を楽しめたからこそ成功した、と思えるのです。まだ能力やスキルが足りないから失敗や間違いや挫折もあるでしょう。与えられた曲が良くないからヒットしないんだ、と考えることもできます。しかし、凡庸と思われる新曲を歌うだけでなく、彼らの時代は先達が歌った優れた過去の歌をカバーすることも多く、そして時として先達よりもヒットすることがあるし、チャートで1位に輝くことだってあるのです、地道に歌い続けその歌や歌い方が時代の要求に合致していれば。そしてその結果、彼らは目の前に広がる新たな光景が見られたのです。

まずは目の前の仕事を楽しむ、仕事とは誰かのためにするのではない、自分のために仕事をする、そう考えれば仕事の意義も違って見えるのだと思います。

もう少しがんばって!

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