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斯くもすばらしき入院生活⑦

束の間沈黙が私たちを取り巻いたが、不思議なことにそれほど気詰まりではない。なにか穏やかな、生暖かい春の木漏れ日の下で憩っているような雰囲気さえ感じられる。誰もが大らかな気持ちで、ほのかな温かみに酔っているかのよう。子供の後ろ姿を、まるで一枚のベールを見透かしているかのように息子夫妻が見守っている。明らかに、彼らはベールと言ってもいい一枚の覆いで分け隔てられている。後ろの二人はそのデリケートな覆いが波立つことのないようじっと後ろに控えているわけだ。まるで彼らが放っている今にもとろけてしまいそうな視線と前に揺蕩うその覆いは深い関係によって取り結ばれており、その関係を維持したいがため間違えのないよう後ろに控えている。どうもそんなようなのだ。
「お父さんのことはどうでもよくって、今日はおばあちゃんがメインなんだから」孫の目はキラキラと輝いている。「おばあちゃん、今日は何の日だかわかる?」彼の期待に沿えるよう、私は怠けがちな頭を出来る限り回転させてみるが、孫のくれた三秒間では見当もつかない。私がもごもごとしていると、彼は言いたくて仕方ないといったように微笑み絶やさず、「じゃあ僕の口から教えてあげようか。改めましておばあちゃん、お誕生日おめでとう」孫は振り返って、「どうぞ入ってきて下さい」とドアに向かって声を張り上げる。電気が落とされ、廊下からごとごととなじみ深い音を立ててケーキが。いつもの形式ばった顔つきもどこ吹く風、運搬役の看護師もこの時ばかりは笑って上気している。まるで仮装として白衣を着飾っているかのようだ。
 部屋に灯る光は八本の蝋燭だけにふるい落とされる。その揺らぐ明かりを頼りながら、人々の歓声を受けてケーキは無事ベットに横づけされる。ケーキは丸形。中央やや下寄り、円周を除いた左から(端はイチゴと蝋燭の独壇場だ)右全体にかけてチョコレートでハッピーバースデーと書いてある。手作りなのだろう、スポンジに塗り付けた生クリームは所々盛り上がり、その丘に立つイチゴは土台の粘着力だけを頼りにしている。
 看護師が退場すると、さっそく孫の合図を先導に、私以外の構成員家族三人によるハッピーバースデーのコーラス。各々記憶を辿って、それらしい音を奏でる。一番の経験者である私もどれが本物かはわからないが、どれであっても捨てがたい。彼らの柔らかな声音で部屋が満たされていく。
 余韻に浸る間もなく、私は息をつめる作業に取り掛かる。圧縮させた空気を口から吹き出すためだ。ハッピーバースデーが終わり、孫がケーキを私の前へと差し出てくる。期待に応えようとはしたものの、あえなく手前の蝋燭が揺れるだけ。すぐさま八本全てが元のすらりと立ち臨んだ姿に復してしまう。だが彼ら三人は熱狂を止めない。まるで灯が風に負けることなく立ち上がったことがさも素晴らしい出来事であるかのよう。彼らは床に倒れ伏したボクサーがカウント内で起き上がったかのように手を叩く。

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