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斯くもすばらしき入院生活⑤

 彼が自分から抜け出ている間に、じっくり見させてもらった彼の頬に広がるシミは、時の速さを私に思い知らせるが、彼の息子がこの部屋でその若さをふんだんにまき散らしたあととあっては、それぐらいがちょうどよいものに感じられる。私だけがひたとゴールに目を向けて走っているのではないと、安心させてくれる。


 彼は皆平等に分け与えられている一日はそれほど長くはないということ、それに私の腕の弾力のなさといったものを時計の針や感触でもって直に確認すると、どちらに対しても不満足げな視線を向け、私の住む静謐な空間を後にした。


 また懲りることなく私は窓の外を眺め彼の行く末を見守ることにする。けれどいくら待てども彼は一向に出てこない。もしかしたら既に出て行った後なのかもしれない。道路に出る前にタクシーを拾ったのかもしれない。それに彼の頭頂部の形を私がはっきりと覚えているわけではないという事情もある。弁解にしかならないが、薄暗い秋の黄昏とあっては大抵の人物は輝いて見えるものだ。誰一人例外なく黄金の光の中へ飲み込まれてしまっている。私の目はその下地の中から一人一人をかき分けてやれるほど、高級でもないし耐久力もない。この分野において監視する以上に貢献できそうになかったので、私は豆腐のようにたわんだ頭で彼の行く末を慮ることにした。おそらく彼のように時間を細分化している人間は、自分に降りかかってくる光の正体も掴めぬまま余生を過ごしていくのだろう。もしかすると光を浴びているという事実すら気づくこともないままに。その事実を教えてやりたいのは山々だが、教えてやったところで彼が生き方を変えることはないだろう。これまでもそうであったように、年寄りの戯言かよくても母親の過度な干渉の一つとして片づけられてしまうわけだ。


 そこで私だけでも(はるか昔には文字通り彼と一心同体だった時期があったのだ)日に暮れなずむ街並みを眺めようと、窓の外に目をやる。私は景色に眺め入るよりはそのスポットに立った事実を重視する名目的人間ではあるが、ここ最近は年の功もあってこうしてただ眺めるだけであってもさして心が痛むことはない。

 前景に広がる景色は瞼のように閉じ合わされた地平線によって彩られている。その恵みに預かれなかったものたちは彼らなりに一塊となり暗闇をよりいっそう濃いものへと押し出している。手前に横たわる道路の脇には街路樹が連れ添って、絶えず吐き出される悪質なガスを僅かでも軽減すべく努めている。枝々に張り付く葉は期待される人生を全うする心構え。だが、その安逸の内に立てた人生観も、ひとたび風が吹けばいくらかの修正を迫られることだろう。神のみぞ知る、といったところだろうか。

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