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斯くもすばらしき入院生活⑥

 そうこうして景色をただぼんやりと目に取り込んでいるうちに、どこまでも続いていた橙色の瞼がしっかりと地平線へと結び合わされ、暗幕の内へ内へと光が回収されていく。その光の行く末を身をもって感じようと私自身も瞼を閉じる。しばらくの間頼りない四つの感覚だけに身を任せることにする。寝る意思のない束の間の休息を過ごそうというわけだ。そうしてまどろんでいると、ドアをノックする音が私の鈍感な鼓膜を震わしてきた。待っていると、爆ぜた匂いが私の曲がりくねった鼻へ、振動が私の錆びついた腕へ。私はたまりかねて目を開けた。もしこれ以上待っていたら、必ずや得体のしれないものが口の中に担ぎ込まれるはずだ。私は目を開け、自分の感覚がまだ使い物になることを実地で確認する。時同じくして人々の存在も同定する。
「気持ちよく眠っている最中に、ごめんなさい」とあくまで礼儀正しいのは嫁である。
「そんなに待ってられないって。僕たち、次に行くところがあるし」と減らず口を叩くのは孫。
「お母さんを訪ねるには、ちょっと遅すぎたかな」と弁解するは息子。
「そうだぞ、父さん。反省しなくちゃ」と畳みかけるのは孫。
「悪い悪い。仕事が終わり次第急いできたんだが」と早くも今日二度目の弁解を数えるのは息子。
 孫は父親である息子を眺めることはせず背を向けたまま、「今日だけだよ、許してあげるのは」と上下関係を我々に周知させる。子供から手厳しいお叱りの言葉を受けたので、その怒りを宥めたいがため、もしくは反省の意を表したいがために父親は子の肩に手をおきかけるが、その張りつめた肩を見るだけでやめる。

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