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斯くもすばらしき入院生活③

 心待ちにしていた食事も終えてしまい(今日の献立だけは特別に、栄養学的な見地のみ念頭に入れて作られたのだと信じたい)、あと残すは今日一日でなした仕事を思い返すだけとなった頃に、ドアからのノック音で私は暗闇の底から引きずり出された。
「珍しいじゃないか」事実と感情どちらの面からも嘘一つない言葉を相手に授ける。
「電話で舞花が見に行ってくれっていうからさ。どうしてるかってね」息子はとても正直者だ。指示した人間の存在をごまかしたりはぐらかしたり、というところがない。「手術は上手くいったんだって?」
「まあ当分の間は動かせないからその実態はわからないけどね。どうにか繋がってはいるみたいだね」話題になっている場所を動かすわけにはいかないので、私は届く限りの場所、つまり右の側腹部辺りを叩いて、大まかな場所を指し示す。だが彼は目的としているはずのものに視線を向けない。彼は依然として私の前に立ちはだかったままである。そのような態度をとるよう誰かが前もって、彼に教示したのかもしれない。私としては触れたり叩いたり、粗末に扱わないことを前もって口約してくれさえすれば、何をしてもらっても構わないのであるが。


 彼は手すりに手をかけ私の目線に頭部を下ろすと、「それで体調は?」と問いかけてくる。この手の質問は、この部屋に連れてこられてからというもの最も頻繁に耳にする話題となった。おそらくこの文言を必ず口に出すようにと部屋の前のドアにでかでかとその旨が書かれているのだろう。だが体調といわれても漠然としすぎて、私には相手に合わせて答えてやることしかできない。
「可もないし不可もないね」
 目を細めた息子は立ち上がり、一通り視線を廻らして見慣れないものが何一つとしてないとわかると、窓の傍へと近寄って、ここから見える眺望を確認した。彼はそこで、私の関心が彼の背中から遠のきはじめるぐらいの時を過ごした。彼の目に何が映り、そこで何が発見できたのかはわかりかねるが、「ご飯はもう食べたんだよね」と彼は首だけをこちらに捻って訊いてくる。私が首を振らず枕に頭を埋(うず)めたままでいると、「最近ちゃんと食べれてる?」と彼は続けざまに質問を投げかけてくる。


 相手が答えに対する反応を明らかに示してこない場合(拒否ももちろん答え方の一つだ)、私としては無視してもいいのだが、遠路はるばる訪ねてきてくれた労をねぎらう意味もこめて、私なりの解答を口に出す。「嚥下する、という意味であればね」彼の眉根が寄るのを見計らって、「そうだね、ちゃんと食べれてるよ。遥か遠い手術前の記憶だけど」私は彼の感じたであろう違和感を少しでも和らげるために、言葉を補ってやる。


 ここでも息子は返答を寄越さない。つまり私と付き合う大抵の人間が辿る道程の、第二段階に彼は留まっているわけである(第一段階は拒絶、つまり訝しい目で私の言動を吟味、推量する時期にあたる)。まあこのように育ってしまったのには私にも責任の一端がある。自分の有能な頭を最大限に用い、弁護士という高度な世界に身を置き、家族の元を離れ日々暮らしている息子。効率性を重視し、どうやって相手から有益な情報を引き出すかを苦心惨憺たる思いで考え、その技術を日々高めようとする息子。そうなるよう説いたのは確認するまでもなく過ぎ去りし昔の私であり、その教義を助長させたのは私が選んだ土地に待ち構えていた学校その他教育施設なのだ。そうであれば普段人と接する際にも効率性に囚われてしまうのはいた仕方がないというもの。軽んじて受け入れることにしよう。


 彼ぐらいの年齢――私は彼の誕生日に一喜一憂する立場でも年齢でもないので正確にはわからないが、一人息子を持ち、その息子が女の子がどうと身内にも大っぴらに口に出せるまでに育てあげた頃の父親の年齢――にもなればもう少し恰幅が良くなっていてもおかしくはないように思うのだが、彼は逆に肉がこそげ落ちていっているようだ。彼の場合、一人暮らしという二十年ばかり前に味わった生活に戻っていってしまったため、その寂しさに耐えようとするあまり、肉で体(てい)よく覆い隠すのではなく、むしろ全てのものから距離を置くことに、自分の姿格好に対してまで無意識になろうと決心したのだ。突風にあおられる柳の木にも似て、この辛い時期が過ぎ去るのを待って。

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