『筑波学生新聞』が統一教会と癒着した筑波大学当局を批判し続けた件
筑波大学にかつて非公認の新聞で『筑波学生新聞』という学生新聞が存在した。
筑波大学といえば学長の福田信之が韓国の悪名高いカルト宗教の統一教会と関係し、国際勝共連合との関係を持っていて韓国の軍事独裁政権と癒着する大学ということで周囲から猛批判を浴びていた有名国立大学である。
歴史学者の家永三郎も韓国の朴軍事独裁政権と癒着し、学長が統一教会の文鮮明を崇拝しているような大学を生涯、恥ずべき学歴と考えていたようで家永三郎自身も東京教育大学の名称しか認めなかったという。
家永三郎自身も筑波大学を『南朝鮮』と称して、韓国を国家承認しないつもりで存在を認めたくなかったのだろう。家永の学歴を一貫して東京教育大と称したのはそうした事情がある。
家永三郎が筑波大学の存在を憎み、あんなものは大学でも何でもないのでとても肯定できる学びの場ではないということで痛烈な批判を繰返したことに呼応するかのように学内に批判勢力というか良識派もいた。
『筑波学生新聞』という大学非公認の新聞部は統一教会と癒着して余りにもイメージが悪すぎた筑波大学のイメージを変えたいということで学内問題に批判的なスタンスで記事を書いていたという。いわゆる学内民主化勢力というべき団体だった。
『筑波学生新聞』も大学当局の御用新聞だった『筑波大学新聞』に抵抗するように発行し続けたという。
『筑波学生新聞』では統一教会に対して批判を繰返し、筑波大学と統一教会との癒着を批判し続けた。当然、『筑波学生新聞』の編集者や寄稿者は統一教会と癒着して悪名高い筑波大学の現状に心を痛めていたのだろう。
いくら高偏差値の有名国立大学であった筑波大学でも大学が統一教会と関係し、原理研究会が大学公認の団体で霊感商法に従事となれば、世間の批判は殺到するのは必須だった。
筑波大学の学生も実は自分の大学の実態を知っていて、実に恥ずかしい学歴とも思って学歴に関して余り人にいいたくない、という学生は多かれ少なかれいたのは確かだろう。
『筑波学生新聞』の学生は筑波大学の悪名を知っていて大学の民主化を考えないと本当にいけない立場にあると常日頃、編集部員は考えていたと思う。心情としては日々、反省、日々、編集といったところか?
残念ながら時代の流れで『筑波学生新聞』は2007年で廃刊になったものの大学の腐敗や問題に対して真摯に向き合い、筑波大学の悪名高いイメージに対して彼らなりに我々も心を痛めているという意思表示をしたのは評価できると思う。
筑波大学を強烈に毛嫌いしていた家永三郎も『筑波学生新聞』は学園民主化のために抵抗勢力と考えて、若干、好感も抱いていたのではないか?
翻って我が東北福祉大学の学生新聞の情けない編集方針を叱る
筑波大学の学生も大学が統一教会と癒着して、原理研が霊感商法に関与して反社会的な行為を繰返せば、筑波大学は犯罪者集団なのか!という猛批判を世間は容赦なく浴びせるわけで、大学のイメージはいくら偏差値が高い有名国立大学であろうが、世間の評価など下がる一方なのである。
『筑波学生新聞』の新聞部の編集部員はその辺の筑波大学の統一教会との癒着事件で大学のイメージが極めて悪いことを熟知して、非公認団体でもあったが『筑波学生新聞』で学内のガン細胞のような存在であった統一教会を批判して、学内民主化をしっかり考えていたわけである。
もちろん『筑波学生新聞』に統一教会問題に批判的な学生や大学院生や教授などは『筑波学生新聞』にも協力して、大学で統一教会が暗躍する筑波大学の暗部を暴露し、ダメなものはダメであると世間に向けて問題提起をしていた。
誰が考えても『筑波学生新聞』の立場こそジャーナリズムとしてふさわしく、大学非公認の学生新聞でもあるのだが『筑波学生新聞』を思想・信条にこだわらず応援したくなる人が出るのは無理もない。
翻って私のいた東北福祉大学に関していいたいのだが、新聞部の情けないまでの堕落ぶりには私も呆れている。
自分の大学が残念ながら関与した遺跡ねつ造事件に関しても東北福祉大学の新聞部は大学当局を批判したり、考古学の教授を批判したわけでもなく、完全に大学当局のいいなりになって事件の本質にせまるようなこともせず、事件に関して今も言い逃れという学生新聞にあるまじき卑劣な振る舞いというか沈黙で逃げているという有様だ。
残念ながら東北福祉大学の遺跡ねつ造事件に関しての態度は霊感商法に関与した統一教会を擁護した筑波大学当局のような恥ずべき事件に似ていると私は思う。
事件の当事者でありながら真剣に事件に向き合わない東北福祉大学の新聞部にお前らは本当にやる気があるのか!と猛批判が継続するのは当然ではないか。
私自身も遺跡ねつ造事件で処方面から痛烈な東北福祉大学に関する批判を嫌というほど浴びせられて、決して東北福祉大学には感謝などできないままでいる。
その辺の理由で大学の同窓会には抗議文と絶縁状を書いたが、今にして思えば残念ながら東北福祉大学の新聞部なども事件に対して余りにも幼稚で反省の色が全くないというのも原因があるのではないか?と思うようになった。
残念ながら私からみて東北福祉大学の新聞部の態度は『筑波学生新聞』に比べれば極めて幼稚でそこが浅く、情けないとしか思えない。
東北福祉大学の新聞部だってあれだけのねつ造事件をおこして大学への激しい批判が逆巻いたことを新聞だって熟知しいているはずなのに事件は過去のことだ、解決済みであると言い逃れをするとなれば情報操作ではないか?
オウム真理教の後継団体のアレフが「地下鉄サリン事件は陰謀だった」といって事件をなかったことにするのと同じくらいの幼稚な弁明だとしか私には思えない。
大学当局の都合のいいPRばかりを繰り返しているのならば新聞部としても残念ながら0点の御用マスコミでしかない。
余りにも信頼を欠くようなことを今も東北福祉大は継続しているとしか私には思えない。
私の大学が関与した遺跡ねつ造事件に関してももっと真剣に事件に向き合い、自分の大学にも大いに責任があって謝罪すべき部分はたくさんあった、どんどん記事を書いていかない限り、東北福祉大学には後がないと思う。
ぜひとも東北福祉大学の新聞部に関しては『筑波学生新聞』のように生まれ変わって遺跡ねつ造事件や野球賭博事件の黒い霧をしっかりと晴らしていただきたいと切に願う。
東北福祉大学の新聞部は奮起せよ!