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創価学会を批判するライターと本尊復刻問題と遺跡ねつ造事件の雑感

 WEBライターに関する記事を書こうか?ということであれこれと雑文を書いているのだが、妙に反応がいい。

 WEBライターは誰でもできる仕事で稼げる仕事というイメージもあるのでNoteでも結構、この種のテーマは読まれる記事なのだろう。

 しかし、残念ながらWebライターに関して業界関係者の評価は低いというのが本音だ。

 昔、創価学会=公明党が自分たちの出版物で創価学会批判をするようなライターを『ガセネタ屋』という悪罵で罵倒していたが、残念ながらWEBライターはネット社会のガセネタ屋と蔑称で呼ばれても仕方がないような気がする。

 自分も遺跡ねつ造事件の件で統一教会の霊感商法とFの類似性のことを書いたりしているわけでお前はNoteのガセネタ屋と批判されてもある程度はそれはそれで仕方がないな、と考えることもしばしばだ。

 確かに自分の今まで書いた記事をたまに再読してみると創価学会関係者が乙骨正生や段勲を猛批判するようにガセネタ屋と批判が出ても無理もないといえばそれまでなのだが。 

 所詮、WEBライターは現代の雑文書きというか芥川龍之介の小説でいえば『戯作三昧』のような塵芥のような売文屋でしかないのだから、確かにWEBライターといえばガセネタ屋と評されても文句はいえないだろう。

 ガセネタ屋と創価学会に罵倒されたライター乙骨正生や段勲のこと

 ガセネタ屋と創価学会に罵倒された反創価学会のライターの大御所に乙骨正生や段勲がいる。

 乙骨正生や段勲も元は創価学会に入信し、組織内で活動していたが、残念ながら創価学会の問題に嫌気が指し、かつての創価学会に対して猛批判を繰返していったという事情がある。

 乙骨正生や段勲も彼らのいた創価学会という組織に騙されたということでかつての組織に先鋭化した批判を繰返すのはやもうえない事情もある。

 乙骨正生などは創価学会のエリートコースだった創価大学に入学して余計に創価学会や池田大作や公明党の在り方に幻滅することが大きかったようで執拗に創価学会批判を継続している。

 ある意味で乙骨正生の立場を今の私に置き替えてみると自分のいた東北福祉大学で遺跡ねつ造事件に関して猛批判しているのにも似ている。

 自分の所属した組織が反社会的な事件を繰返せば、組織内部の問題点や腐敗や不満に関して敏感になり、人生を奪ったのは自分が所属した組織に問題もあった、ということで怨念も消えないというのむしろ当然なのだろう。

 創価学会は今も乙骨正生や段勲の言動に公安警察のように目を光らせ、発言をチェックして監視状態になっているのは業界関係者らならご承知の通りだ。

 私自身、乙骨正生や段勲ほど偉くないことは承知なのだが、翻って乙骨正生や段勲が元の古巣の創価学会を批判するのは私が遺跡ねつ造事件をおこして大して謝罪すらせず、周囲からも猛批判を浴び続けている東北福祉大学の在り方を批判しているのに似たようなメンタリティがあると思えてくる。

 創価学会の本尊摸刻問題と東北福祉大が関与した遺跡ねつ造事件の社会的な衝撃

 反学会ライターの乙骨正生や段勲のことで今回、筆を取ったが、創価学会といえばかつて彼らが信奉している日蓮正宗の本尊の曼荼羅を勝手に池田大作がねつ造して、本尊摸刻問題という大規模なねつ造事件を猛批判されて池田大作自身が大反省した悪名高い事件が存在する。

 事件は創価学会の最高指導者の池田大作が勝手に本尊に自分の名前を刻み、池田大作を崇拝するようにねつ造事件を創価学会が行ったということで各方面から猛批判を浴びた事件だった。

 本復摸刻問題の際に創価学会は曼荼羅に勝手に「池田大作」の名前を刻み、自分を永遠の指導者のように崇拝せよ、ということでねつ造した本尊を創価学会の会館に安置して個人崇拝を強めたことで各方面から猛烈な批判を浴びた。

 保守系の自民党や民社党も創価学会の本尊摸刻問題を猛批判し、左翼政党の日本共産党も同じように創価学会の本尊摸刻問題をかつての藤原弘達の『創価学会を斬る』で悪名を轟かせた言論出版妨害の再来ではないか?ということで猛批判し、再び池田大作は公的に反省の弁を述べた事件でまた創価学会の反社会的な振る舞いということで学会批判が先鋭化した事件でもあった。

 本尊摸刻問題に関していえば池田大作は遺跡ねつ造事件の考古学者Fが旧石器時代の土器・石器をねつ造したような振る舞いを日蓮正宗の曼荼羅で自分から露骨にやらかしたわけであり、残念ながらこの事件に関しても創価学会側はまたも社会的な批判を強烈に浴びるようになり、社会的なイメージが悪化した事件であった。

 本尊摸刻問題で遺跡ねつ造事件のFがそれこそ「魔が差した」ように創価学会の最高実力者の池田大作は本尊摸刻問題で曼荼羅に自分の名前を刻み、露骨なねつ造に手を染めたことでさすがに日蓮正宗側や社会に対して再び謝罪して「お詫び登山」ということで事件に対しての反省の弁を示して広報活動で釈明した。

 残念ながら世間の創価学会や池田大作や公明党に対する態度は相変わらず厳しいままだったのだろう。

 言論出版妨害事件に続いて本尊摸刻問題も創価学会の悪しき体質は変化なし!の周囲の激しい批判を巻き起こし、再び日本社会に創価学会や公明党の悪しきイメージを膨らませるようになったのは事実だと断言できる。

 私のいた東北福祉大学でおこした遺跡ねつ造事件も関係者の謝罪は悪く言えば創価学会の池田大作の「お詫び登山」のような茶番劇であり、とうてい納得のゆくものではないという批判が出るのは当然だという手厳しい発言がでるのはやもうえないと思う。

 今も東北福祉大学の遺跡ねつ造事件に対してアカデミズムの各方面から激しい批判が継続中であるが、事件を省みれば創価学会の本尊摸刻問題と同じような悪質極まりない事件ではなかったのか?とも思えてもくる。

 私のいた東北福祉大学は仏教系の大学で宗派は曹洞宗なので日蓮主義の創価学会や日蓮正宗とは何の関係もないばかりか、創価学会や日蓮正宗側からは邪宗の禅天魔ということで批判と折伏の対象になってしまうといえばそれまででもあるが、遺跡ねつ造事件に関しては各方面から創価学会の本尊摸刻問題を考古学で繰り返した大変、罪深い事件であると反省した方がいいのではないか?

 創価学会の池田大作がかつて本尊摸刻問題で言論出版妨害で各方面からの激しい批判を浴び、池田大作自身も再び「猛省」と称して反省の弁を各方面に示した。

 私自身も創価学会の問題性は世間で暴露されているように大変に良くないことは熟知しているが、池田大作のいわゆる本尊摸刻問題の「猛省」という反省に関しては率直に評価できると思う。

 翻って我が東北福祉大学も創価学会の本尊摸刻問題を仏教系の大学ということで他山の石とせず、遺跡ねつ造事件に関しても創価学会の本尊復刻問題のように「猛省」の精神を受け継ぎ、関係各位に事件の真相を積極的に語っていただきたい、と説に願う。

 遺跡ねつ造事件の大いなる当事者であった東北福祉大学に求められているのは創価学会のかつてのねつ造事件だった本尊摸刻問題で池田大作の実践した「お詫び登山」のような茶番劇のような形式的な謝罪ではなく、より本格的な遺跡ねつ造事件の当事者としての徹底した謝罪と情報公開と事件の真相究明の継続だと私は指摘したい。

 私も社会の落伍者である塵芥のガセネタ屋のWEBライターの一人としていわせていただこう。

 遺跡ねつ造事件の当事者の東北福祉大学が創価学会の本尊摸刻問題をうやむやにしたまま事件をなかったことにする、となれば将来に対しても軋轢と禍根は呪われたようについてまわることは必須だ。




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