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WEBライターが自分の書いた記事に自己嫌悪を持つ気持ちも分かる

 WEBライターの仕事を始めるとどうしても自分の書いた記事に自己嫌悪を持つことが多いらしい。

 原稿料のために仕事だと思って慣れない美容やダイエットや金融系の記事を書くというのもあるが、一文字0.5円という少ない報酬にも自己嫌悪も湧いてくるというのもあるだろう。

 加えて自分の知識のなさも残念ながら文章を書くことで露呈してきて、ああ、自分は不勉強でもっと大学時代に経済学なんかもしっかりと勉強しておけばよかった・・・という自責の念も出てくることもこれまた多い。

 ある意味でWEBライターの自己嫌悪というものは私がFランク大学で学歴コンプレックスを持つようなものでもあるだろうし、WEBライターという仕事も私立大学のFラン大学の大学生が自分の大学名を人にいいたくないような雰囲気にも似ているような気がする。

 考えてもみればWEBライターとは雑文書きの一種で作家の小説や文学研究や人文系のアカデミズムに関する論文でもないし、単にクライアントからマーケッティングで依頼された記事を書いてくれという仕事をしているわけで決して楽しい仕事ではない。

 仮に報酬をもらうとしてもあくまで書いた記事が心の底から楽しい、と思って書いている人は少ないだろう。

 WEBライターという仕事は自分の書きたい文章を書きたいと思って書くわけでもないし、単に金のためにくだらない雑文書きに徹する雑文家といえばそれまでなのである。

 原稿料をもらうというのは所詮、金の奴隷といえばそれまでなのだろうが、書いた原稿に関してクライアントから文句をいわれて没にされたり、肝心のクライアントが雲隠れしたりすれば、もう、こんな手間のかかる仕事をして副業というのでは割りに合わないと感じるのも無理がないのではないか?と思う。

 本来、書きたくもない美容や金融やダイエットの記事をニーズがあるからという理由で書いたが、肝心の記事の内容に関してクライアントからクレームが入っただけでなく、自分でせっかく書いた記事も原稿としても読むに堪えないとなれば、自己嫌悪の無限連鎖みたいな感情がまとわりついて、自分はいったい何をしたいのか?ということで毎日が憂鬱になってしまうのも無理がない。

 実は自分も前にNoteで書いていた記事を一気に削除して、再びnoteを書き始めているが、ある意味でWEBライターの自己嫌悪に近い振る舞いを実際しているわけで、個人的にその辺の心情が確かに分かる。

 実際に私は前に書いた記事のいくつかの内容は覚えている。

 今のところ削除した記事をリライトして書き直してnoteに再アップロードしたいという気持ちはないのだが、気が向いたらリライトして書き直してもいいかな?とは考えることもある。

 とはいうもののあくまで昔の自分の拙い雑文にこだわって再び記事を再録する気持ちは今のところはないのが自分の現時点の心情でもある。

 最近、ちょっとばかりWEBライターの仕事に突っ込んだ感じになり、自分も昔、書いたNoteの記事を自己嫌悪のようなものを覚えて消してしまったのだが、自分の記事に自己嫌悪を覚えて記事を消してしまいたい、と思うWEBライターの気持ちも理解できる。

 最も私の大学がおこした悪名高い遺跡ねつ造事件そのものが自己嫌悪の対象なので今、書いているNoteだって自己嫌悪の集積体であるといえばそれまでともいえる。

 しかし、自己嫌悪を感じつつも遺跡ねつ造事件に関しては書きたいというテーマは一応、もっているのでnoteで書いている記事はWEBライターとの記事とは全く異なった性質のものだと考えているのだが。

 自分はWEBライターの仕事に仮登録の状態でそこから進展なし、な日々が続いているが、さて、どうしようか?とちょっと悩んでいる。

 



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