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結果よければすべてよし...とするか!

1995年6月末、全13年生そしてその保護者がギムナジウムの講堂に集まりました。卒業式の始まりです。和やかな雰囲気の中で、生徒は校長先生から卒業証書を受け取り、長年の苦労と努力を称え合いました。

そんなわけで、僕のギムナジウム生活は終わりました。学業的にいえば、アビトゥアを取得できたとはいえ、惨敗としかいいようがありません。どれだけひどいのか、卒業証書をみなさんにお見せしたいぐらいですが、やっぱり恥ずかしくて見せられないぐらい、ひどかったのです。

でも、いいんです。結果は当時の自分を反映しており、惨敗といえども、自分なりにベストを尽くしたんです。それに、「ドイツ語に自信がない」とか「知識が足りない」とか、今まで散々言ってきましたが、それが当時の僕だったのです。他の選択肢をとることもできたのでしょうが、とらなかった自分が、当時の僕なのです。そんな自分を否定するつもりはありません。

ギムナジウムに限らず、学校とは要求が極めて高い機関であり、ドイツ人だろうが外国人だろうが関係なく、それぞれが問題や悩みを抱えながら学校生活を送っていると思うのです。自分を正当化するつもりはありませんが、幼少期や思春期においてそういった壁に立ち向かい、それなりの答えを出すという経験は、良い成績をおさめるのと同じくらい大切なのではないでしょうか。

ギムナジウム最終日に起きた出来事を、今でも忘れません。歴史の先生が校庭にいた僕を見つけるや否や、勢いよく僕の方へ走り寄り、こう言ったのです。「お前は授業に全然貢献しなかったし、成績もイマイチだったけど、いてくれて本当に嬉しかった、ありがとう」、と。

生徒のために毎回授業の準備をしてくれたにもかかわらず、「ドイツ語に自信がない」などの言い訳を並べてボイコットしていた未熟な自分。そんな僕ですら温かく受け入れてくれた寛容な先生方。自分を情けなく思う気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいで、なんて返せばいいのかわかりませんでした。

「このままではいけない」と、僕は悟りました。今思えば、ギムナジウムはそんな僕に対して、自分が今後すべきことについて考える機会を与えてくれました。その意味において、僕はギムナジウムに感謝しています。

卒業式の最後に、卒業生が全員講堂のステージに立ち、当時流行っていた曲を替え歌にして披露しました。ぶっつけ本番の企画を支えたのが、僕のギター伴奏です。最後の最後に音頭をとれたのも、いい思い出になったかな??

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