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The Room Where It Happened(ボルトン回顧録)を読んで

一か月前に発売されて米国のみならず世界中で話題になった本著作。

ボルトンがこの本を上梓した動機は、ウクライナ疑惑に端を発したトランプ大統領に対する弾劾裁判で証言者として細切れの話をするのではなく、在任期間中に起きたことの全体像を細部に亘って語ることで、現米国大統領がウクライナ疑惑に限らず多くの局面で私利私欲の追求を最優先に考えており、これがいかに国益を損なっているかということを米国民に伝えることだと思われるが、本書全体を通じて、米国の外交はどうあるべきか、また職業外交官はどう振る舞うべきか、というボルトンの一貫した思想が伝えられており、比類稀なるキャリアを築いた米国外交官の回顧録として、読み応えのある内容に仕上がっている。

国益を守るために国家が行うべきことは何か。ボルトン曰くそれは自国の利益にかなうことを最優先にすることであり、具体的には自国民の安全を守ること、および自国の経済的利益を守ることである。その為には、米国民に対して戦争やテロを仕掛ける可能性のある国の脅威を抑制し、貿易ルールを守らず知的財産を盗んできた国に制裁を加え、自国の利害に関係ないところからは手を引く。ボルトンが国家安全保障大統領補佐官として大統領に仕えた一年半の間、一貫して追求し実践したテーマであることが本書に凝縮されている。

一方のトランプは、国益よりも私利私欲をあからさまに優先する前代未聞の大統領。その関心事は次の大統領選挙での勝利することに集約されており、その為に自分には誰にも負けない力があり、交渉にも強い大統領として世間に映っていることを重視する。このような大統領に対し、ボルトンはマティス国防長官が行ったような面従腹背の姿勢は取らず(結果的にトランプとの対立が深刻化し辞任)、トランプに真摯に向きあい、米国の国益に適う決断をトランプに下すよう出来る限りの根回しを行う。本書では、様々な外交上の決断に至るまでのトランプとの会話がかなり克明に記録されており、思いついたままに奔放な発言を繰り返すトランプと、然るべき決断に導くためにトランプの自尊心をくすぐりながら論理的に説明を試みるボルトンとの掛け合いは読んでいて面白い。ボスが決断するために必要なオプションと材料をきっちり揃えるのが補佐官の仕事と公言するだけのことはある。結果的にボルトンのこのような努力が短い在任期間であったにも拘わらず、幾つかの外交上の成果をもたらした。

トランプ政権は、オバマ政権や欧州諸国が2016年に成し遂げたイラン核合意から離脱し、イランへの制裁を強めた。それはイランが国際合意にも拘わらず密かに核開発を進めていたからであり、アフガニスタンのタリバン等のテロリストを支援してきたからであり、イスラム共和国の現政権が交代しない限りこうした姿勢が変わることは期待できないというのがボルトンの考えである。イランが核を持つと、中東域内のパワーバランスが崩れ、イスラエルとの緊張関係が高まるだけではなく、サウジなどの湾岸諸国も核を持つことを考え始め、中東全体が不安定化する。中東の不安定化はテロの温床の拡大に繋がり、結果的に米国民の安全を脅かすという考えだ。2018年5月に米国が核合意からの離脱を表明した後、フランスのマクロン大統領を中心に、米国を合意の枠組みに戻そうとする動きが続き、米国政権内でもマティス国務長官やムニューシン財務長官などは核合意を支持していたが、オバマのレガシーを悉く翻し、自分の力を見せつけたい(そしてあわよくば先方がトランプとの直接のディールを求めてくることに期待)トランプとボルトンの方向性が一致し、離脱は実行され制裁は強化された。


米国がアフガニスタンやシリアに軍を駐留させる理由も基本的には同根であり、トランプが選挙公約に基づき、近視眼的に両国に駐留する軍隊の完全撤退を幾度となく叫ぶ中、ボルトンは完全撤退することは国益に適わないと考え、他の要人と連携しながら様々な手を尽くし、完全撤退ではなく駐留規模の縮小という形でトランプを説得した。


北朝鮮問題に米国が関与するのも、それは東アジア地域の安全保障の確保ということのみならず、北朝鮮がイランやパキスタンと軍事技術面で協力関係にあり、北朝鮮による核実験や弾道ミサイル発射実験の成果は、イランやパキスタンの核兵力増強に繋がるという懸念があるからである。ボルトンは民主党政権下で2003年に始まった六カ国協議が機能せず、北朝鮮が核開発を進める猶予を与えたと考えており、北朝鮮に対する制裁を強めるべきとの意見であった。しかし、北朝鮮が核開発を中止する気などさらさらないことを知りながらも、南北統一に向けて北朝鮮との融和を進めることに前のめりになった韓国の文在寅がトランプを米朝直接対話に担ぎ出そうとした。金正恩がトランプと対話したがっているという文の嘘にトランプはまんまと乗ってしまい(文は同様に金正恩に対しトランプが直接対話を望んでいると伝えた)、一時は文が落としどころと考えていたと思われる、寧辺核施設の廃棄と引き換えに経済制裁を緩和するという案に乗ってしまう危険があった。しかし、北朝鮮は複数の場所で核開発を行っており、そのような実質的な効果の無い見返りに対し、着実に北朝鮮経済に影響を与えている制裁を緩和してしまえば、メディアから弱腰だと笑いものにされる、というボルトンの忠告によりトランプは思いとどまった。トランプにとっては、北朝鮮が核開発を進めるかどうかということよりも、自分自身が金正恩とのディールで負けたと世間から思われることの方がより切実な問題だという異常な一端が垣間見られるワンシーンである。いずれにせよ、ボルトンのお蔭で我々日本人は北朝鮮の核の恐怖から一時的かもしれないが少しは救われたのかもしれない。


ボルトンはロシア政府との間のINF(中距離核戦力全廃)条約の破棄も主導した。同条約の存在にも拘わらず、ロシアが核開発を進めている事実が明らかになったことに加え、今やもう一つの核大国となりつつある中国が条約当事者に入っておらず、今の建付けのままでは、法の支配が機能する米国のみがこの条約に縛られ、両大国の脅威に対し必要な防衛力を具備できなくなるからだという。ボルトンは廃棄を主導する一方、ロシアのキーマンとの交渉とのパイプは確り構築し、プーチン大統領とも二度面談をしている。

ところで、ボルトンの日本評はどうだろうか。日本は東アジアの安全保障上重要なパートナーとして位置づけられている一方、日本一国だけでの安全保障は難しく、韓国との良好な関係が求められるとし、悪化する日韓関係を心配するコメントが出ている。悪化する日韓関係に対するボルトンの見方はフェアなもので、韓国は国内での不満が高まると昔の話を持ち出し、日本に不満の捌け口を求める、ということも述べている。前述の通り、ボルトンは文在寅を信用していない。
安倍首相については、トランプ大統領が最も良好な関係を築く外国の首脳と評し(トランプは、神風特攻隊だった父をもつ(???)安倍はタフガイだという独特な評価をしている)、北朝鮮を信用ならない、ならず者国家とみなし、トランプ大統領にも幾度となくそのことをリマインドする姿勢に対し好意的な見方を取っているが、トランプの北朝鮮への姿勢を余りにも褒め過ぎることに対する疑問を投げかけている。即ち、金正恩との関係を壊したくないトランプは、短距離ミサイルの発射実験を問題視しない発言をTwitterで繰り返しているが、日本はその射程距離に入っており、米国がそれを容認したと思われることは本意ではないだろうということである。
また、日本のイランに対する日本の融和的態度は北朝鮮に対するものとは正反対で「Schizophrenia(精神分裂症)」的だと批判。トランプ大統領からの伝言(もし直接対話をイランが希望するならば応じるという内容)を託されイランを訪問した安倍首相の試みを大失敗だったと評した。実際に安倍首相がイラン訪問中に日本のタンカーは攻撃を受け、イラン側はトランプとの直接対話はありえないと一蹴された。
これらのエピソードを読んで感じるのは、米国の機嫌を取らざるを得ない日本の苦しい立場である。トランプを手放しで褒めること、トランプの無理なお願いを受けてピエロ役を引き受けること、どちらも本当は安倍首相の本意ではないかもしれないが、日本の首相として米国トランプとの関係維持を考えた場合は、やむを得ない選択だったのかもしれない。
一方、日本の駐留経費の金額の多寡についてボルトン自身は特にコメントをしていないが、トランプが折に触れ、なぜ他国の防衛を米軍が自費で賄っているのだと不平をもらし、大抵NATOから始まり、在韓米軍の話となり、そしてこれらの話よりは若干頻度は落ちるものの在日米軍についても日本はもっと支払うべきだと言っている。中長期的な国家戦略など気にしないトランプにとって、在外米軍の駐留経費問題は今後も外交交渉の材料として使用される可能性が高く、日本政府も油断できない状況が続くだろう。(但し、今回のウクライナ疑惑は、そのようなトランプの姿勢が招いた災禍と言える。米国が対ロシア対策でウクライナに支援してきた25億ドルの軍事支援を、何の見返りも無く払いたくないと考えたトランプが、民主党のバイデンの捜査を見返りに求めたことが問題の発端となったと考えられており、国益と私利私欲を区別できないトランプの資質が今後益々問題となるであろう)

この本を読み終えて感じることは、東西冷戦の結果、勝利したイデオロギーである民主主義と自由主義経済の下で描かれた、国際協調を基本とした人類の発展という未来図は、中東に於けるアラブの春の失敗、中国の台頭、世界各所で興り始めた強権政治などで綻びを見せてきたところ、トランプ政権の誕生でこの綻びが大きな亀裂となり、強国同士が覇を競うBalance of Power(勢力均衡)の世界に再び戻ったかもしれないということ。しかも、冷戦時のBalance of Powerとは役者が異なり、モンロー主義に傾きつつある米国、共産党イデオロギーの超大国中国、新皇帝プーチン率いるロシア、強権エルドアンの下でイスラム色を益々強めるトルコ、キューバを中心とする中南米の反米勢力、その狭間に生き残る、国家を持たないテロリスト集団ISISや、ならずもの国家北朝鮮など、大小入り乱れる混沌とした勢力図が展開される先の読めない世界になるかもしれない。このような世界を生き延びるのは、国益が何かを確り理解し、その為に適切な動きを取ることの出来るリアリスト国家かもしれない。ポイントは、国益を短期と中長期に分けて考え、短期の損得のために中長期の戦略目標を犠牲にしないことと、中長期に拘り過ぎて短期で重大な結果を引き起こすことには慎重であることだろう。日本の今後を考える際、ボルトンの姿勢から学べることは多い。


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