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デス・レター(zoophoria、プロローグ)


この稿の後、出演アーティストの紹介をするつもりだがその前に。今回のイベントが新松戸で開催されることの意義について、ちょっと書いておきたい。

俺が行く先々で、少なくない人々から、「新松戸は遠いから…(だから行かないと思う)」という、意見というか軽い非難というか、いただいた。で、俺は「そうか、それは仕方ないよな」と思ったかといえば、断じて、否である。

俺は現在、東京都城東地区に住んでいるが、お気に入りのアーティストが、佐賀県でライブをやる、と言われたら、「遠いから」行かない。だが、さいたまスーパーアリーナでやると言われたら、そのアーティストへの興味、俺の衝動と天秤にかける。そして、衝動が顔を出したら、まず、行く。

音楽(とりわけロック)とは、そういうものだと思っている。であるから、先の「新松戸は遠いから…(だから行かないと思う)」の発言は全て、俺の力不足にある。Garageの屋号の力は未だ、微々たるものだからだ。

だが。今回承諾していただいた各アーティストは、いずれも、現在の東京圏のインディーズ界において、極めて異彩を放つ存在ばかりであると誇りをもって言える。さらにいえば、この回を共同主催した新松戸firebirdもこれまた、極めて異彩を放つ企画ばかりを打ってきたハコである。これもまた、断言できる。

ロックは、エッジが立ってなんぼだと思う。エッジとはすなわち、目新しさだ。何かその人にしかできない、その人を体現する、そんなものだろう。俺は「新松戸は遠いから…(だから行かないと思う)」と言った人を非難しない。しかし、目新しいものにとりあえず飛びついてみる、真贋は、好悪は、聞いてからじっくり考える人ではないな、とも思う。即ち、現状に安住する人たちである。そしてその現状とは、現在表舞台にて展開されている、いわゆるJRockと地続きになっている。

このような「ロック保守派ファン」という言語矛盾そのものの人たちを、俺は非難しない。音楽を聴いて安堵する。それの何が悪かろう。同様に、zoophoriaに超満員の動員は望めないかもしれない。我々は恐らく少数派である。

だが、間違いなく、今回のアーティスト達は、見ている諸兄達に新しい地平を、ちょっとだかどばーだかはわからないが、見せてくれると、自信を持って言える。それは、「新松戸は遠いから…(だから行かないと思う)」程度にしかロックを愛さない「ロック保守派ファン」の手には、永遠に届かない場所にある。

俺たちが新松戸でやるのは、こういう理由である。なお、この文章は、挑発である。涅槃と概念。FAKE ID。Hello11D3。→。ジョズエ。こんだけのアーティストが揃ってなお、「遠いから」足を運ぶに躊躇うミュージシャン、ファン、(そしてライブハウス店主)よ。俺は(了)

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