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デス・レター(俺とあなたの間には)



先般のThe Corner Shop Sessions 2は成功だったと思う。何を以て成功かと言えば、まず第一に、出演したアーティストが楽しがった事である。皆それぞれにトラブルはあったけれど、お客さんが、場が、それを暖かく包み込んで、まるで音楽で会話をしているようだった。演奏、歌とも極上だったと思う。

成功のその2は、見知らぬお客さんが散歩中、漏れ出る音を拾ってふらりと入ってきてくれた事である。音楽家にとってこれほど嬉しいことはない。「なんか面白そうだ」と思ってきてくれるお客さん。そんな人たちの集まる場に、または、そんなお客さんになってもらうために、俺はイベントを開き、また出る。

加藤伎乃と一緒に、新宿まで帰った。彼女は言った。「ワタシは自由恋愛賛成派よ」こうも言った。「生活の大半は、ツラいなぁ」俺はこの二言だけで、ますます加藤が好きになった。彼女のいう自由恋愛に賛同するのではない。彼女がこう言って、自分自身のスタンスをはっきりさせる、その潔さと勇気が好きなのだった。

じじいの多くは、トラブルの渦中にあって無言で通し、状況が小康化するのを待つ。いちゃもんをつけられると貝のように口を閉ざす。以前、満員電車から出ようと思って、よいしょと鞄を引っこ抜いたら、絵が取れて中身をぶちまけた時がある。その時、電車内最前列に立っていたじじいは、ただ笑って見ていただけだった。俺はカバンのことは、どうでもよくなっていて、そのじじいの笑顔だけが憎らしかったのを、覚えている。

TwitterでもFacebookでも書いたが、ライブハウスに出演する特定のアーティストのファンが、そのアーティストの演奏が終わるや否や帰るという光景が、俺は嫌いだし、そのアーティストの、音楽をやる動機も、なんとなく透けて見えて、嫌だ。

つまり、俺が嫌いなものは、無関心だ。

ガレージでもコーナーショップでも、俺は何かしら俺が驚いた人を呼びたい。ジャンルは関係ない(演奏の順番は、会の流れという意味で関係はあるけれど)。先日読んでもらったNEPOの福田さんも、どうやら同じことを考えているようだった。エレクトロニカ、パンク、ファンク、レゲエ…メタジャンルながら(だから、ではない)全く飽きない、楽しい楽しい会にして下さった。

話が散らかってしまった。俺の言いたいことは、こうだ。
・アーティストへ。自分のファンを囲い込みたいのなら、俺は呼ばない。ガレージでもコーナーショップでも、出てくれたアーティストたちは皆、「いい会」(つまり、演っている自分たちが楽しめる、つまり、互いの音楽を認め合って、気持ちの良い話をすることだが)にしたい、お客さんに会を楽しんでもらいたい、と思っている。ファンとアーティストの共依存、閉塞関係は、他のアーティストに対しては無関心である、ということだからだ。
・お客さんへ。あなたがあるアーティストに出会って、心を震わせられたのなら、あなたが見知らぬ誰かに出会って、その誰かの心を震わせられるはずだ、ということを信じてほしい。そうして、他者に対する、遠くのことに対する自らの無関心を、溶解させていってほしい。
・音楽について。音楽は直接的に世界を変えることはできない。だが、俺たちの音楽を聴いて、あなたの心は少し動いただろう?音楽で変わるのは、あなたの問題である。俺たちは、音楽を作りながら変わっていく。音楽は、変化のきっかけを供給する。それしかできないんだが、それこそが重要なんだよ。
・音楽は政治的か?もちろんだ。俺たちのやっていることは、ドブ板選挙の手法と酷似している。

パレスチナに関するデモも、その意味で、意味がある。日本でのデモによって、イスラエルは爆撃をやめない。だが、日本でのデモによって、それを見た人の無関心が瓦解する可能性がある。デモの意味とは、これだ。岡崎体育のツイートもこれだ。

俺の今日は、ツイてない日だった。だから俺のこの文章も、投げやりか気味だ。だが、このちょうどいいではないか。これを読んだあなたが、まとめればいい。その時,あなたの無関心は消える。あなたにも、その力はあるよ。

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