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ルビー手芸店の月並みで愛しい日常⑤(物語)

「ありがとうございました。よい一日を!」
夏のバッグを作りたいと、ラフィア調の糸を買いに来たお客を送り出して、みすずは手芸店のドアにかかった看板を「閉店」にひっくり返し、目隠し用のカーテンを引いた。ナフキンを広げてキッシュとサラダのお昼ご飯を食べながら、昨日の夜のことを思い返した。

誘ってもらったアイリッシュ音楽のライブは、終わってほしくないと思うぐらい楽しかった。チケットをくれたパトリックに少なくともお礼だけは伝えたいと、近づいて行って機会を伺っていると、彼はみすずに気づいてちょっと手を挙げて挨拶を送った。ファンと思われる女性数人に囲まれてビールを片手にご機嫌そうだった。みすずは割って入っていく勇気もなく、自分も手を挙げただけで踵を返した。少しいたたまれない気持ちになったが、堅苦しく考えすぎていたんだなと、さっぱり姿勢を正し、セシルやその友達と楽しんで帰ってきた。
それでもランチをしながら何となくあれで良かったのかと気になってしまい、天使の顔のついた掛け時計にふと目をやった時には午後からの開店時刻になっていた。慌てて片付けて、カーテンを開けた。

「キャ!」
カーテンを開けた途端にパッと外にいた人影が退いて、みすずの口から悲鳴が出た。午後の開店時刻に合わせて来て、まだお店が閉まっていたから隙間から覗き込んでいたらしい。
「ごめんなさい。少し遅れてしまって。どうぞ入ってください」
みすずは看板をひっくり返しながらドアを大きく開けて、若い3人のお客を招き入れた。3人ともTシャツにジーパンの高校生と思われる女の子で、Tシャツの色が1人ずつ白、ブルー、赤いボーダーと何となくトリコロールになっていた。初めての来店らしく、店内をキョロキョロと見回している。
「何かお探しですか?」
とみすずが愛想よく聞いても、はにかんで3人で顔を見合わせるだけだった。
「質問があれば遠慮なく言ってくださいね」
そう言って、みすずはカウンターの後ろに引っ込み、キット用の布をカットしながら、ヒソヒソ声の3人のことをそれとなく観察した。

「これ見て。このフワフワのパープルの毛糸がいいと思う」
「こっちの生地もいいんじゃない?」
「バゲットの柄よ。笑うー!」
3人は生地をみて笑い始め、その後も何かみすずには分からないことで、ゲラゲラが止まらなくなった。若いなあとみすずは思いながら、開店時刻を待っていたという事は冷やかしではないだろうけど、何を探しているのか見当がつかなかった。
しばらくすると、白Tシャツの女の子がカウンターにやってきて
「すみません、日本人の方ですか?」
と聞いてきた。みすずが驚きながらそうだと言うと、日本にホームステイをするが、ホストマザーの趣味が手芸でお土産を探しているということだった。みすずは、高校じゃなくて大学生なのかしらと思いながら少し考えて、
「お客様が最初に見ていた毛糸はフランス産の糸が入っていて、いいチョイスだと思いますよ。あとは、これとこっちの生地はフランスのデザインだし…」
と案内すると、
「じゃあこの毛糸にします」
と、最初に見ていたのを3つ手に取った。みすずは決断の早い人だと思いながらレジへ行って会計をした。レジ前に集まってきた3人だが、白Tシャツの女子に他の2人が目配せして、何かメッセージを送っている。みすずは何だろうと思いながらラッピングをしていると、
「コンニチワ。えっと、私はステファニともうします。日本語が少しできます。この店はとてもカワイイです…んー、あなたのお名前はナンですか?」
と白Tシャツの女子が少したどたどしい日本語を発した。みすずは驚いて一瞬ポカンとしたが、3人が目配せし合っていたのは日本語を試してみたかったからだと理解し、
「みすずと申します」
と日本語で答えた。3人は「通じた!」「分かった!」という喜びで手を取り合うような動作をして、白Tシャツの女子が続けた。
「ミスズさんですね。えっと、ワタシはニホンに行きます。ホームステイをします。そして日本のダイガクに行きます。トテモ楽しみです」
みすずは、それを聞いて大したもんだと思いながら
「日本語、上手ですよ。日本でも頑張ってくださいね」
と励ますと、
「はい、アリガトウございます!」
とキラキラした目で返してきた。そしてみすずがラッピングした毛糸を受け取り、3人は興奮冷めやらぬ様子で、“カラーン”と高らかにドアベルを鳴らしながら店を出ていった。みすずは、お喋りが遠ざかっていくのを聞きながら、ふと、自分もあんな年齢の、まだ子どもっぽさも残るような時に渡仏を決めてやって来たことを思って、記憶の彼方に意識が飛んだ。

高3になるという春にみすずが頼りにしていた祖母が急死した。
「おばあちゃん、いっちゃったね」
忌引休みの最後の日に行った近所の小料理屋で、母はそう言って悲しそうな顔は見せたけれど、家政婦をお願いすると、またいつもの仕事に戻って行った。みすずは、母と居てもどうせ孤独なら、どこか遠くで、祖母の言っていたように「自分の好きに生きよう」と決めた。そして、フランス語ができるからという単純な理由で行き先を選び、大学で経営を学んで、時間はかかったものの取得したディプロムのおかげで大きな会社に入った。何とかやっていると思っていたのが、周りと同じように仕事ができていない事に気づき始めた頃に部署閉鎖の発表があった。同僚たちは人脈を頼りにさっさと次の居場所を見つけていたが、みすずには何のツテもアテもなかった。

「好きに生きたらこうなっちゃったじゃない。おばあちゃん…」
祖母の写真に向かって呟いて、何でこんな道を選んだんだろうと考えると、無意識のうちに、母のように会社でステップアップしていく人生に入れば、母が関心を向けてくれるかもしれない、認めてくれるかもしれないと望みをかけていたと気付いた。自分の好きなように生きているつもりで、実は母に認められたい気持ちが自分の選択を支配していて、自分に合わない行き先を選んでいた気がした。ショックではあったけれど、気づけて良かったとも思った。そして母がどう思うかより自分がどう思うかだと決心すると、視界がサーっと晴れ、何か道はあると希望が湧いてきた。

それからすぐのこと、手芸店で働かないか誘われた時、母の冷たい表情が頭をよぎった。でも、決心した通りそれは頭から追い出した。何よりも暮らしていくには掴まないといけないチャンスだったし、自分の気持ちを見つめてみると、「楽しそう」と心が動いた。飛び込んでみたら、毎日色んな事はあるにしろ、人も環境も自分に合って、地に足がついている実感があった。もしかしたら先でまた困難があるかもしれない。でも、それはきっと、合わなくなったメガネを作り直すように、いっとき混乱しても、その時の自分に合った状況がやって来る前触れで、今はここで毎日をしっかり生きていれば、きっと何とかなるという気がしていた。

ドアベルが鳴って、お店の上に住んでいるセシルが入ってきた。ミントブルーのシャツが初夏の光に映えている。
「若い子たちが来てたみたいね?窓を開けてたから聞こえてきたわ」
と、朝からの売上伝票をチェックしながら聞いた。
「日本に行くって人とそのお友達で、ホストマザーに渡すお土産に毛糸をお買い上げでした。フランス産の糸が入ってることが決め手になって即決でしたよ」
みすずは3人の弾けるような笑顔を思い出しながら言った。
「そうなの。素敵ね。みすずも夏は日本に帰るの?そうそう、お店は毎年8月の前半あたりで2週間休むことにしてるのよ。今年の日程もカレンダーに書くわね。SNSにもあげておいてちょうだい」
セシルはレジ横のカレンダーのところへ行くとマーカーで矢印を入れ「バカンス」と書き込んだ。
みすずは、まだ母に手芸店で働いていることを連絡していなかった。もし今の自分が母と会ってみたらどういう感じがするだろうか…という考えが頭をよぎった。

第5話終わり
この物語はフィクションです。


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