ルビー手芸店の月並みで愛しい日常③(物語)
「そんなに緊張しないで。大概は上手くいくから」
店主のセシルがなだめてくれるが、みすずは初めてのワークショップの時間が迫ってきて、予約の名前とキットを確認したり、道具の配置を変えてみたり、落ち着かないのだった。
「カラン」とドアベルが鳴って、ライオンの立て髪ぐらいボリュームのある見事なスパイラルヘアに、テラコッタ色のロングワンピースを着た女性が入ってきた。セシルに向かって「ワークショップに申し込んだ…」というのを聞き、みすずは飛んでいって、「こちらです」と奥のアトリエへ案内した。女性は色とりどりの生地や毛糸の並んだ店内を見渡しつつ、ゆったりとした足取りでみすずの方へ進んできて、ミシンの前に腰かけた。みすずは名前を聞いてキットを手渡した。
「どうぞ、これがサイトで選んで頂いた材料になります。レシピも添えてますので他の参加者が来るまで見ててくださいね」
クロードと名乗った女性は、みすずの早口に大きな目をパチクリして頷いてから、ピンクの豹柄の生地をひとしきり眺め、レシピを読み始めた。みすずより少し年上の30代前半ぐらいだろうか。みすずは会話がなくて少しドギマギしたが、クロードは落ち着いて、くつろいだ様子だった。
時間を確かめようと、天使のついた掛け時計の方を振り返ると、あと二人の男性の参加者も来店し、セシルが案内してきた。みすずは1人の顔に見覚えがあった。
「あ、ボンジュール!」
この前、テーブルクロス用の生地を買った若者だった。みすずは嬉しくなってニタニタしそうになるのを抑えながら、「こちらへどうぞ」とミシンの前へ案内して、名前を聞いてキットを渡した。この前来た若者はジュリアン、その友達はアレックスといった。
参加者が揃って改めてそれぞれ名前だけ紹介すると、みすずは早速ミシンで下糸をまくデモを始めた。
「ここに下糸用のボビンを刺して」
とやって見せたら、手元がすべってボビンが飛んでいってしまい、みすずは慌てて追いかけて拾った。動揺しながらミシンに刺し直すと、クロードがわざとボビンに向かっておどけて「落ち着きましょうね」と言ったので、笑いが起きて一気に場が和み、みすずも肩の力が抜けた。クロードの優しさが有り難かった。
全くの初心者が対象で、「旅行の洗濯物入れ」という名目の大きめの巾着を作るワークショップだった。3人ともミシンを動かすのに、最初はおっかなびっくりだったが、ハギレを使ってジグザグの端ミシンまで難なくできるようになった。みすずは“本番の生地に移ろう”と思いながら、視線を感じて店主のセシルの方を見ると、お客の相手をしながらも、みすずにウインクを送ってきて心強かった。
「さて」と生地を手に取ったジュリアンを見ると、ミント色にカラフルなカクテル柄の生地だったのが、アレックスのピンクのストライプ生地に取り変わっていた。
「あれ?交換したの?」
とみすずが聞くと、
「ほら、一枚だけ交換して前後で柄違いにしようと思って」
と2枚の生地を並べてみせた。
「なるほど、雰囲気が合っていますね」
みすずは2人の自由な振る舞いに少し驚いたが、前後で柄の違う巾着も素敵だった。
「ということは、二人はお揃いね」
とクロードが言うと、
「母の日のプレゼントだから、母さんたちがお揃いってことですね」
と、ミシンに集中して黙り込んだジュリアンのかわりに、アレックスが答えた。
「あらぁ、微笑ましいわねぇ。手作りだなんて素敵よ。ところで、みすずは母の日のプレゼントはもう決めたの?」
とクロードに聞かれ、日本の母の日はフランスより早いことをみすずは思い出した。
「母は日本にいるんだけど、日本の母の日は終わってしまったかな。忘れてました」
と何でもないように答えると、3人ともがピタリと手を止めて、
「えー!大変!」
「寂しがってるわよ」
と小さな騒ぎになり、お店で生地を見ていたお客たちが、怪訝そうにアトリエの方をのぞいた。
「母は記念日とか気にしない人だから大丈夫ですよ」
とみすずは声を少し落として笑顔で言った。
「そうなんだ。でも遅れても電話だけでも喜んでくれると思うわよ。もちろん、あなたがそうしたいって思ったらのことだけど」
とクロードが言うのを、みすずはニッコリして聞いた。
母の日と聞いて、みすずが自然と思い出すのは、祖母のことだった。仕事で家をあけがちな母の代わりに、みすずの世話をし縫い物や編み物も仕込んでくれたのは祖母だった。母がタンスの肥やしにしている服を「これはいい生地だわねえ」と言いながら解いてみすずの教材にし、母が気づいて怒り狂っている時があったが、祖母はいつでも知らん顔をしていたっけ。おかげでみすずは小さい頃から、デザインは平凡でも、生地だけは上等な服を着ていた。
それにしても、最初に祖母にミシンを教えてもらった時はこんなに上手くできたかしらと、参加者の3人が調子良くミシンを踏んでいるのを見ていたその時、
「わぁ!やっちまった」
とジュリアンが言い、アレックスとクロードも手を止めてジュリアンの作品を覗き込んだ。みすずもドキドキして状況を窺うが、クロードの見事なボリュームの髪でよく見えない。
「あらぁ、そんなの私もよ。大丈夫じゃない?」
とクロードが言い、アレックスは
「失敗ー!」
とからかった。みすずは「ちょっと失礼」と割り込んで作品を確認すると、マチの縫い目が線から2ミリほどずれているだけだった。ホッとして、
「マチが左右で少し違ってくるぐらいだけど、気になるなら外してやり直しますか?」
とリッパーを見せた。ジュリアンは、新しい道具に興味津々で
「やり直します」
と言い、みすずはハギレで使い方をやって見せた。一方、アレックスの方を見てみると、慎重なのでジュリアンより随分遅れを取っているが、出来上がり線通りに縫えていて性格をよく表しているようだった。
「とても上手くいってますよ」
と褒めるとアレックスは誇らしげにした。
「じゃじゃーん」
と言って巾着の紐を引っ張って、一番に出来上がりを見せたのはクロードだった。二人の若者は少し顔をあげたが、縫っている途中ですぐ作業に戻った。みすずはパチパチと小さく手を叩いて、
「お疲れさまでした。可愛いのができましたね」
と言うと、
「あなた、とっても優しくて、教え方も丁寧で上手で良かったわあ」
とクロードが言い、みすずは率直すぎる褒め言葉に顔が火照った。
「次はロングスカートをやってくれない?そしたら又来るわ」
とリクエストし、2人の若者に「チャオチャオ またね」と言うと、クロードは来た時と同じようにゆったりとした足取りで帰って行った。みすずは、その後ろ姿を見ながら、今日のワークショップは、クロードがいい雰囲気を作ってくれて助けられたのに、その気持ちを彼女のように素直に言葉にできなかったと気づいて、もっとクロードのように心を開いていたいと思った。
アレックスとジュリアンも無事に仕上げ、「あとは包装紙だな」とラッピングの相談をしながら店を後にしていき、みすずの初めてのワークショップが無事に終了した。みすずは安堵と満足感を味わい、そして来週のワークショップでどんな出会いがあるか、もう楽しみだった。学校でも会社でも1人がラクだったのに、人との関わりを楽しみにしているなんて、今までと違う新しい世界にやって来ているような感覚だった。
みすずは片付けをしながら、ワークショップの成功を祝うために大好きなケーキ屋を思い浮かべたが、いや、誰かに一緒に祝ってもらいたいと思い直し、スマホをとって、まだ友達とまでは言えないけれど、そうなれたらいいと願っているシドニーに連絡してみることにした。
第3話終わり
この物語はフィクションです。
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