美術館で心に栄養を
久しぶりに西洋絵画を見に、地元トゥールーズの小さな美術館へ。工事期間を経て臨時の無料展示をしていて点数は限られていましたが、いい時間を過ごしました。数点、訴えかけてくる絵がありましたが、モリゾという印象派の女性画家の一点に一番心をくすぐられました。
学生の時に、フランスやイタリアの有名美術館を訪れて、教科書や何かで見た事のある有名な絵だけを駆け足でみて、ほとんど訳がわからず終わったのを勿体なかったなと思って帰ってきました。次はもっと分かりたいという欲がわいて、聖書やギリシャ神話なんかを少し勉強して、よく登場するシーンや人物は少し判別できるようになり、知識があった方が興味深く鑑賞できるというのは分かりました。
それが30代に入った頃だと思いますが、ある画家の展覧会で、私のそんな考えが吹っ飛ぶような体験をしたのでした。エミリー・カーメ・ウングワレーというアボリジニの画家の展覧会でのこと。見て回っているうちに「キレイ」とか「楽しい」とか、そんな感想は超えた「幸福感」を呼び起こされたというか、心の奥底に響いてくる命のバイブレーションを感じたというか、これを至福というのかなとその時に思ったのでした。美術館を出るのが惜しくて惜しくて、もう一度行きたかったのですが、残念なことに会期の最後のほうだったのでチャンスはありませんでした。ネットで何点か検索できるのですが、やっぱり本物を前にした時とは全然違うと私は思います。
それからは、絵の説明は分かった方が楽しいのに変わりはないし、興味が湧いて背景を知りたくなる絵もありますが、そういう事は二の次かなあという考えになりました。絵を前にして沸き起こるものを感じたいと思ってみています。何もなければ「ふーん」で終わりだし、「きれいだなあ」「尊いなあ」「愛らしいなあ」と感じている、そういう自分の心の動きを感じることを大事にしています。
ウングワレ-の展覧会での衝撃的といってもいい体験は、以来今のところはありません。でも、ちょっと特別な感じを受けたのが、ひとつはパリのピカソ美術館でした。混んでいたのと、同じような絵も多かったから、割と流す感じで見たんだけど、ある時点から、パワーをもらえる、自信が湧いてくるような感覚があって、「なんだろう、この感覚は??」と。そして「なるほど、あれだけの値段がつくのも分かる気がする」と思ったのでした。それまで、何枚かピカソの作品は見たことがあったのだけど、私の感受性の問題でいまいち価値に共感できなかったのが、あれだけたくさん見てやっと納得しました。もちろん、人によって感じ方も絵を買う動機も違うとは思いますが。
美術館を出たあと、1人でカフェに入って遅いランチをしたのですが、普段は余計な会話に自信がないから分かりやすいセットを頼むのに、怖気付かずに自分が一番食べたいと思ったものをアラカルトで前菜、メインと頼んで、すごい量だったのをペロリと平らげてデザートとコーヒーまでゆっくりと満喫したのでした。
もう一つは、俵屋宗達の「風神雷神図屛風」。パワーを感じると同時に天晴れな壮大な気持ちになるというのでしょうか。ずっと見ていたくて絵の前からなかなか離れられない思いでいました。グッズは滅多に買わないんだけど、大判ハンカチを買って渡仏する時に持ってきました。ちょっとお守りのような気がしています。
若い時は知識と経験を増やしたいという思いが強かったんだけど、今は何かしら心に潤いを与えられたらいいなあという感じで美術館に出かけます。あわよくばまた、至福の体験をさせてくれる一枚に出会いたいという下心?は持ち続けていますが、自分の感受性の問題もあるんだから、そちらが錆びないようにも努めたいものです。
今日も読んで下さって有難うございました!!
Inner creatorさん イラストお借りしました。有難うございます!
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