フィリピン旅行の話をします〜CHONのウ○ルン滞在記〜
昨年の年末年始は、フィリピンへ。目的地はマニラやセブではなく・・・・・・・ツゲガラオ(!?!?!?!?どこやねん!?!?!)未知の土地への旅行を決めた理由、それは、カナダにワーホリに行っていた頃、お世話になったホストファミリーに会うためです。
ホストファミリーの移民と、故郷訪問のわけ
私のホストファミリーはフィリピンからの移民でした。移民するには、ある程度のお金が必要であるし、手続きも踏まなければなりません。それでも移民を決意した理由として、マザー曰く、子どもたちを考えて、とのこと。物価の安いフィリピンでは、家族を養うために、多くの女性が出稼ぎに近隣のアジア諸国に出向きます。何年もの間一緒に暮らすことができなかった、ようやく家族で暮らせるようになったのよ、とマザーは話していました。
親族を大切にするフィリピンの文化ですが、親族全員が移民できているとは限りませんし、やっぱりフィリピンに戻るという決意をする人もいます。そのため、何年かに一度、お金を貯めて里帰りするそうです。私はホストマザーが大好きです。初めての長期の海外滞在で不安しかなかったのに、全く寂しくなかったのは、本当の娘のように接してくれた彼女のおかげでした。ファザーも優しくてジェントルメンだし、お姉ちゃんたちも本当の妹みたいに扱ってくれた。いつもパワフルで、そして優しく見守ってくれる彼女の家族のルーツがとても気になっていました。そこで私は、彼女の里帰りに合わせて、フィリピンへ彼女たちに会いに行くことにしました。
フィリピンの北部へ
まず、彼女たちの地元へ行くためには、マニラから国内線での乗り継ぎが必要です。マニラから北部へ2時間くらい。空港に着きました。めっちゃ狭い・・・。自分の地元の空港もなかなか小さかったけどこれはもはや・・・てか、滑走路が見当たらないんだけど!?!プライベートジェット用にある様な小さな空港。そんなこんなでツゲガラオでの4泊5日くらいの旅が始まりました。大きな花束を持ってマザーとファザー、孫息子が出迎えてくれました。カナダで一緒に暮らしていたから、なんか異国であっているみたいで不思議。
いとこの車に揺られて、さらに2時間先の集落?の様なところへ向かいます。空港のあった都心からどんどん離れていきます。少しメキシコと似た石のブロックを積み上げてできた家が散見されました。放牧されている牛がいたり、車や馬車が入り乱れたりとあらゆる時代の片鱗がいっしょくたにされたかのような世界が広がっていました。面白いことは他にもありました。道も片側は整備されているのに、反対側はボコボコ。橋も未完成のまま、誰も働いている様子もなく放置されている。どこか中途半端が多い印象でした。これはのちに質問してみたのですが、この後ファザーの実家に泊まらせてもらってそこでも、家の増改築が止まっていることに気が付いたんです。その理由は、お金は入ったら入った分だけでその都度改築するのよ、というものでした。ローンを組むのが普通というは、日本人ならではの感覚だったのかなと考えさせられました。あとは、その期の市長によっても市民のライフライン設備投資のお金の配分もだいぶ変わってくるようです。市長の指針なのか、フィリピンの制度のなのか、はたまた傾向なのか、わかりませんが、やはりお金に関する価値観って結構違うものだなあと思いました。
ディープでローカルな生活体験
おうちに着くまで正直ドキドキしておりました。というのも道中のお家の中には吹きさらしにどうみてもなってるお家やドアのない部屋なんてザラにあったんです。治安がいいとは決して言えない国だから、ローカルな地域だからしょうがないと腹くくってたけど、やっぱり少し怖かった。(ごめんね、ホストマザー・・・)
おうちに着くと、うん、悪くはなさそう(笑)一緒に同行してくれた友達と一安心しました。お家はコンクリートの大きな箱のよう。ダイニングスペースと分かれていて、そのさらに奥には、屋外の調理場と鶏と豚などの家畜のスペースが広がっています。メインの部屋のなかは、ベニヤ板で区切って部屋のようにしてありました。フィリピンのそのころは乾季で30度くらい毎日あったんですが、やはり湿気がないし、コンクリートのおかげなのか涼しくて快適でした。当時仕事に忙殺されていた私にとっては、ある種この必要最低限の、自然と共に生きる原始的な生活は、心を軽くしてくれました。
さて着いた途端、我らはパーティーに巻き込まれます。彼女たちはよくパーティーをしたがるんですよね、カナダにいた時もよく巻き込んでもらいました笑。今回は12月生まれの親族全員と、、、私たち二人へのウェルカムパーティーでした!!!!!!!
あったかいなあと。フィリピンの方々のこのホスピタリティとフレンドリーさはとっても好きです。たまに疲れるけど笑 そして誰が誰のいとこだとか説明してもらうんですが、今回の旅でわかったのは、私たちのホストマザーはできる女系兄弟の中の一人だったということ笑 ホストマザーはパワフルって冒頭でも述べましたが、本当に強いんです。母親として、女性として、一声あげればなんでもやっちゃうみたいな強さ、守る力があります。正直憧れの人でもあります。お姉さんにもお会いしたんですが、もう最強です。姉妹揃って。フィリピンの方って女性の方が働き者多いみたいですね。そこに由来しているのかも知れません。
いっぱい書きたいところなのですが、この旅で体験したことの中で、2つのエピソードを紹介したいと思います。
1つ目は、トイレ問題です。これはほんとにもうどうしようもなかった・・・。最終日にはさすがに慣れてしまいましたが、正直もう二度と体験したくはないなー・・・。まず、便器がないんですね。トイレらしきものはあるのですが、便器がないんです。もう摩訶不思議。どうやって用を済ますかは、もう体得するほかありません。友達はどうしても大ができないってずっと言ってたんです。でもついに、もうなんでもできる気がする、と、最終日一皮向けてました笑。お風呂のような行為も、一応その空間で一緒に済ますことになります。そう、シャワーがないんです。お湯を沸かして、それを水で割ってバケツからオケで汲んで浴びます。あーシャワーが恋しい!シャワー考えてくれた人ありがとう!!!って心から叫びたくなりました。でもまあ慣れてくるとそんなもんです。(おそらくフィリピンのどの家でもシャワーがないわけでもありません。トイレも高級ホテルであれば日本と同様です)ついでにいうとホストマザー一家はおそらくその地域の中ではおそらく裕福?なのか、三階建の立派なご実家で、シャワーありました。ここまで差が出るのか、、、、と驚きです。(泊まったのはマザーの嫁ぎ先になるファザーのおうちになります)
2つ目は、牧場探検です。乳絞ったりしたとかじゃなくて、放し飼いされた牛のいる大草原の中を横断するといった謎イベントです。マザーはよく、目的と場所を最低限しか伝えることなく、私たちを連れ出すことがよくあります笑 物事を体験しながら、これは何の目的のついで何だろうか・・・?と考えながら楽しむことにしています毎度。今回は推測するに、「大草原の向こう側にすむ知り合いに年末のご挨拶にいく」だったと思います、多分。そんなこんなで連れ出された草原は、本当に美しかった・・・!山もないところにただ延々と続く草原は、何だか全て解放された気分にさせてくれました。たまに、牛の巨大なふんがあってギョッとしたり、鴨の親子に出会ってほっこりしながら、ひたすらひたすらビーサンで歩いて向こう側のお宅に向かいました。なぜか文章で書くと味気ない感じになってしまいますが、ここが今回の旅のハイライトでした。沈みゆく太陽の方角に向かってただ何もない草原をのしのし歩いていく。それだけなのに、冒険みたいで何だかめっちゃ楽しかった。こんなのいつぶりっという気分。大自然の中で少女時代の気持ちに戻ったのかもしれません。
終わりに
旅の振り返りとして、フィリピン旅行でのエピソードをまとめてみました。一個一個の気づきが人生の糧になっていく気がする、旅するといつも、知らなかった視点や生活スタイル、そしてその人の起源に触れることができる気がする。これだから異国訪問はやめられません。
ホストマザーに会いにいくためだけに振り切って向かったフィリピンのツゲガラオ。実際の生活を経験できることは、本当に貴重なこと。みんなにこのことを話すとこう言われます、「それウ○ルン滞在記だね」
今度記事書くなら、フィリピンの年越しについて書きたいなあ〜
終わり
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