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『わかりやすさの罪』読了

武田砂鉄著『わかりやすさの罪』を読んだ。

著者は、本書を軽々しく要約したり論点をまとめ上げることを拒んでいるので、つらつらと感じたことを書き連ねていこうと思う(簡単には整理できそうにないので、有難い)。引用とかはしないのでただの自分語りになると思います。もともと自分がモヤモヤしていた部分を、本書を通じてなんとなく整理できた部分を書いていきます


就職活動が嫌いだった。周囲は概ね大企業への内定が決まっていた春先、内定を一つも勝ち得ていなかった私は、飲み会で今まで生きてきた中で最悪の酔い方をして各方面に多大なる迷惑をかけた。

特に就職活動においてまず最初にやるべきこととされる、自己分析が嫌いだった。自己分析とは名ばかりで、就職活動におけるそれは、自身の学生生活の中から自己PRとして映えそうなものを見繕い、人事の目に止まるような加工を施す作業だった。しかし、いざ自己分析を始めようと思っても、四季豊かなキャンパス内を自転車で走ったり、好きな人とデートしたり、サークル行きつけの居酒屋で人気メニューをみんなでつついたりした記憶ばかりが思い返される。サークルや講義をただただ素朴に楽しんできた私にとって、学生生活はそんな出来事で彩られていた。就職活動が始まり、私が過ごしてきた時間は全くの個人的な所有物ではなく、少しでも素晴らしく見えるように加工し、他の誰かに差し出さなければいけないものだと言われたような気持ちになった。「わかりやすくあれ」という要請を初めて自覚したタイミングだったと思う。それを拒否する勇気もなかったけれど、上手にこなすこともできなかった。

社会人生活を送るにつれ、情報をわかりやすく加工することに長けてくる実感があった。特に営業として働いていたころは、わかりやすさは価値だと感じていて、例えば通常一時間かけて説明する内容を、先方から「時間がないから10分で説明して!」と言われれば対応できる自分をプロだとさえ思っていた。乱暴に言ってしまえば、営業の役割は稼ぐこと。ゴールが明確だから、最短ルートを見つけてしまえば後は思っているよりも簡単だ。こちらの伝えるべき情報を極限までシンプルに加工し、適切で気持ちいいタイミングで先方に提供する。余計なことを考えずに反復練習すれば、誰にでも汎用可能なスキルとなり、そこそこの実績を残すことができる。

でもいつからか、自分自身の意見や考えがスムーズに出てこないとも感じるようになった。商談は問題なくこなせるのに、雑談や友達との会話は何となく居心地が悪い。言葉や何げない感情が、濁ったスノードームのように、澱となっていつまでも混沌と舞い続けている。そんなセルフイメージがずっと付きまとっていた。今思えば、「わかりやすくあれ」という社会全体の圧力が、そして自分自身で装着した枷が、スノードームの水をずっと塞いでいたのかもしれない。

思えば、「わかりやすくあれ」という要請をずっと受け続けてきた気がする。わかりやすいテスト解答、わかりやすい返事、わかりやすいキャラクターは、好ましい評価を受けやすい。一方で「わかりづらくあれ」とは誰も言わない。それどころか「わかりづらくてもいい」というメッセージさえも、受け取った覚えはほとんどない。しかし、わかりづらい部分のない人間などいるのだろうか。大小さまざまな自己矛盾を抱えながら、それに正しい答えや道を示すこともできずに、濁ったスノードームの水のほんの上澄みだけを社会に差し出して「これが私です」と自分の役割を演じているに過ぎないのではないか。

私は就職活動も、初めて入社した会社でも思うような成果を出すことができず悔しい思いをした。このコンプレックスを解消するには、同じ土俵で勝負し成果を残す以外にないと思った。それはつまり、わかりやすいキャラクターで顧客に認知され、わかりやすい商談で顧客と合意形成し、わかりやすい営業成績を出し続けること。営業時代を総括するならば、わかりやすさに邁進する日々だったと思う。でもその結果、自分自身のわかりづらい部分が無意識のうちに邪魔になっていった。行き場を失くしたわかりづらさは、自分の中で増幅して汚濁になり、浄水するスピードが追い付かなくなっていった。

本書では、タイトル通り「わかりやすさの罪」について色々な角度から触れているが、もちろん「わかりやすさの功」も存在するだろう。ゴールが決まっているものは、わかりやすい方がいいものもある。機械類のマニュアルなどは事故防止観点からもわかりやすくなければいけない。緊急時等、タイムリミットが迫っていることについてはわかりやすい状況整理が必要だ。また、親しい人を叱咤激励する時なんかには、わかりやすいメッセージで言い切ってしまう方が相手のためになることもある。このように、わからないからと言って、そのまま結論を先延ばしするわけにはいかない状況も多々あるだろう。けれども、本書と自分の人生経験を照らし合わせてみれば、わかりづらく言語化が難しかったところにこそ、豊かさや深い思慮があったように思える。望んでもいないのに、就職活動や仕事によってガンガンに叩き均されてしまったけれど、拒否する権利もあったのだ。今まで抱えていたモヤモヤに輪郭を与えてくれ、就労せず、何者でもない今の時間を大切にしようという気持ちを強固にさせてくれた本だ。


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