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プリンセスか、魔女か。

私は演劇が好きだ。今回も素人なりに、ヒロインを捕まえる魔女役という如何にもな悪役を演じることとなった。

オーディションは昨年11月初頭。その形式は極めて単純なもので、1分間の歌唱、そして予め配布されていた台詞の演技が評価された。5役分の台詞がA4用紙に並ぶ中、私が最終的に選んだのが悪役だった。その時点では今回の演目は発表されていなかったため、悪役のオーディション台詞は「眠れる森の美女」の魔女役から拝借したようだった。ざっくりと内容はこう。(読み飛ばして頂いても構わない)

「あらあら皆さんお集まりで、ごきげんよう。

まあ、この素敵な贈り物と小さな妖精たちに囲まれてるこちらが、本日主役の愛らしいプリンセスね。そして、国王陛下並びに女王陛下。あなた方、随分と沢山の方をお招きになったようね。だけれども、たった1人招き忘れた人がいるわ。最も素晴らしい賓客となったに違いないのに。

私の心はひどく傷ついたわ、ええ。でも、だからといって贈り物を持ってきていない訳ではなくってよ。さあ、真新しい、誰も見たことのない、邪悪な魔女の呪いを受けるがいい!」

和訳、そして省略したため、多少の変な言い回し等あると思う。申し訳ない。

なぜ私は、可愛らしいプリンセスの台詞ではなくこの台詞を選んだのか。理由は2つある。

まず、大抵のプリンセス役はつまらない。とてもつまらない。彼女たちはただただ可憐で、蝶よ花よと育てられた、世間知らずの純粋で無知な女の子である。物語の中でも、彼女たちの行動は至って消極的かつ受動的だ。例えば白雪姫は、何の考えもなしに老婆(魔女)からの林檎をかじって死に、あとは棺の中で王子様のキスを待つだけという典型的な「プリンセス」だろう。

一方、悪役の方がそのキャラクター自体に面白みがあると私は感じる。なぜ悪人になったのかの遍歴も興味深いし、人間というのは少し意地の悪いくらいの方がスパイスが加わって面白いものである。それに誇張されてはいるものの、どの人間も持っている意地の悪さが表されていて、実は誰でも悪役に共感できるのではとさえ思う。例えば、上記の台詞は「誕生会に自分だけ招待されなかったからプリンセスに呪いをかける」という内容だが、この魔女の行動は理屈が通っているし、人間の感情的な側面を良く表現していると思うのだ。仕返ししてやりたいと思うのは当然の心理のように思える。

これらを考慮した上で、どちらの役の方が観客を惹きつけられるかを考えてみた。その結果、私は悪役を演じきる道をとった訳だ。

しかし、どんなに悪役の方が興味深い役所だったとしても、プリンセスが主役であることに変わりない。結局、私はこうやって言い訳を並べてごちゃごちゃ言って、可愛い子とプリンセス役を競い合うことから逃げていただけなのかもしれない。明らかに自分の容姿がその子よりも劣っていることを知っているから、私に可憐なお姫様の役など似合わないことを知っているから、わざわざ挑んで負けという烙印を押される前に、自分で「私は魔女役の方が好きなんで」というスタンスを作り上げたのではないか。そうかもしれない。また、そうでないかもしれない。

自分の人生の主役は紛れもなく自分自身のみである、という。何をどう足掻いても自分しかこの人生の主役になり得ないのなら、自信を持って謳歌したい。人生においては、プリンセス以外だって主役になり得るのだから。

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