まずは自己紹介を

プチひきこもりで自己肯定感の低い「浪人時代」

 ファイナンシャル・プランナーとして独立起業したのが2010年。その2年後には、福祉分野にかかわりを持つことになりました。それもまたいわゆる「数奇な運命」だったのかもしれませんが、なぜそこに至ったのかは偶然ではないのかもしれません。

 いわゆる進学校を出たにも関わらず、3年間も東京で浪人生活を送り、そのうち2年ほどは昼夜逆転生活で、今で言うところの「プチひきこもり」をしていました。のちにお話しする実家の自営業のおかげで、両親はそこそこの小金持ちだったらしく、僕のわがままな脛かじりを3年も見逃してくれたわけですが、このことはそれ以後の僕の「価値観や支援観」に大きな影響を与えてしまったのでした。

 話を戻しますが、その押しつぶされたような3年間の浪人生活を脱した僕は、何とか大学生になれました。一人っ子の僕に両親が期待していた「理想」とは、かなりかけ離れていたかもしれませんが、これがその時の僕にできた「最大限の恩返し」でもありました。

 進学校出て、3浪して、二流私立かよ、という声をやっとの思いで振り払い、ドロップアウト寸前の大学生活を4年でやりすごし、7年間もいた東京から逃げるように地元高知に帰ってきたのが、平成4年の3月。バブル崩壊後の就職でしたが、何とか果たしたのでした。

自分の役割を演じきれた「会社員時代」

 「自分自身の可能性にチャレンジしたい!」と当時のリクルート担当者に訴えた記憶がありますが、とにかく「自分はできる」と言い聞かせて就職活動をしていました。

 もともと中高一貫校で生徒会長なども務めましたし、陸上部の部長として6年間先頭にたってきました。その「活動的な自分」は東京での7年間は引き出しにしまい込んでいたのですが、なぜそうなってしまったのか、実は今でもよくわかりません。

 ただ、高知に帰って就職しようと決めてからは、まるで中高の自分を引っ張り出してきたかのように、活動的になりました。今にして思うのは、自然にそうなったというよりは、むしろ「そうしないと上手くいかない」というストレスに動かされていたようにも思います。そのおかげで、僕は当時のトヨタビスタ高知(現・ネッツトヨタ南国)に無事に就職できました。

 世は「バブル崩壊後」の日本経済がややしんどくなりはじめた時でしたが、日々営業スタッフとして、楽しく過ごせていました。ただ3浪して入社したので、同期は確実に「年下」でしたし、同級生は「先輩」でした。そこは人によって「ネガティブ」になる職場環境かもしれませんが、僕はそれを「なんだか面白いキャラクターを演じる」ことで乗り越えて、7年間営業職として勤め上げることができたのです。

障がいのある人と関わる「町工場時代」

 7年間働いたトヨタ系ディーラーを辞めて、実家の小さな食品工場を手伝い始めたのが1999年の秋でした。2000年5月に今の嫁と結婚するのですが、このディーラーで知り合い、一緒に退職して、町工場の運営・経理・製造・配達・ネット通販を一緒に手伝っていきました。

 この町工場を継ぐのが嫌で東京に出ていき、結果的にはひきこもり浪人となってしまったわけで、人生とは整然とは進んでいかないものだと当時は感じたものです。

 実はこの町工場で仕事をしていく中で、いわゆる「障がい者」と非常に近い関係性を持つことになるのでした。

 一人は某福祉機関からの紹介で畑仕事をしてくれていたAさんです。Aさんは60歳ぐらいの男性で、独身でした。毎日工場まで自転車でお弁当持参して、一人で来て、そこから少し離れたうちの畑で草むしりなどの作業をしてくれていました。炎天下でも、寒風が吹いていても、黙々と仕事をしてくれていました。そんなAさんにお給料を支払っていたのですが、僕の感覚では日当5000円ほどで10日以上の労働というイメージでしたから、親が毎月1万円ほどしか払っていなかったことに驚き、父に問い詰めたのでした。いくらなんでもこれは酷いのでは、と。

 しかし、父の返事は予想外なものでした。「しかたないやろ、それでいいと先方(施設の担当者)が言っているんだから」

 つまりは、これこそが「福祉就労」というものだったわけです。今では就労継続支援事業とか、就労体験事業とか、障がい者雇用とかという言葉を理解できますが、それはその分野で関わってきたからこそ理解できるのです。

 僕のように「福祉は全くの知識ゼロ」の人間にとっては、あの炎天下での重労働の対価がこれでは「搾取」以外のなにものでもないだろ、と感じるのが「普通」だと思います。

 むしろご本人に「あなたはこんな感じでいいんですか?」と訊きたくなりましたが、止めておきました。本人はその時の就労に「ある程度の満足」を得ているのが日々のやり取りでわかっていたからです。

 この時に感じた「違和感」は僕の支援観のベースにあります。その「支援観」とは就労に限らず、全ての「福祉に関わること」に対してです。

 今回はここまでにしておきます。次回はもう一人の「障がい者」である叔父との関係についてお話します。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?