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今こそコミュニティを考えよう。 #コミュニティ談義 参加ログ

ごきげんよう!福太郎です。

激動の時代だからこそ、コミュニティを考える


知人の高橋けいさんが主宰し、いつもPodcastを聴いて学んでいる長田さんが出ると聴いて速攻申し込みしたやつ。

2010年代後半から急速にコミュニティという概念が世の中を席巻するようになりました。
コワーキングなどの広がりもあり、コミュニティマネジャーという職業も世の中に出てきて、皆がこの定性的な物に溢れている領域を模索している中、
玉石混合になることも。

さらにコロナウイルス の影響でオフラインでの集まりありきだったものが淘汰され、いい影響、悪い影響が生まれていた。

数年単位、そして数ヶ月単位で急激に変化が起きた今だからこそ
「コミュニティを考える」という行為にはとても意義を感じました。

本noteでは簡単にいくつかトピックをひろい、ログをしようと思います。参加者の方、見逃した方にも学びや知見が共有されればなお嬉しからずや。

オンラインだからこそ、想像力という「優しさ」を。

オフラインの分断が起きた今、人々はオンラインで繋がりやコミュニケーションを取り始めた。
会社でも、友人でも、あくまでオフラインが主戦場で補完的に使っていたオンラインにどんどん移行している。

オンラインとオフラインでのコミュニケーションの最大の違いは何か。
それは「情報量」だそうな。

オフラインでは言葉以外の 目線、表情、体の姿勢、声のトーンや速さなどなど、言葉以上の情報量をやりとりできる。その上で言葉の文脈をとることは比較的容易だ。

しかしオンラインになると、本当にテキスト100%から読み取るゆえ、受取手に委ねられてしまい、いとも簡単に誤解が生まれてしまう。

そんな悲しいコミュニケーションが生まれないようにするためには、
自分がどのように相手に見えるか、受け取られるかに自覚的であること、言うなれば「想像力」が求められる。

コミュニティマネジャーならば、それに人一倍敏感であるべきだよね。
感情を伝えるためにびっくりマークや顔文字を使うなんて小さなことからでもできる。

オフラインで生んでいた情報のやりとりが「量より質」の時代だったならば、オンラインだからこそ頻度をあげて「量」で補う必要がある。
そしてその質をプラス1の気遣いと優しさで「質」にも転換していく。

そうやって顔の見えないコミュニティでも、お互いを感じれるように近づける。

常に手段と目的を逆転させない。

時間、空間による縛りがなくなり、言ってしまえば何かやるなら東京をはじめとする都市に限定されていたコミュニティが門戸開放された。
これはいいこと。

事実僕が携わっているTabippoの世界一周ゼミでも、オンライン化したら日本中から、そして外国からも参加者が現れた。

もう一つのオンラインの要素に、盛り上がりや熱量が可視化できる点がある。
これはコミュニケーションの可視化によるいい面と悪い面両方に言える。

やりとりが可視化されていれば、時間がずれていたり、些細な一言にもメンバーみんながキャッチアップすることが容易になる。

ゆえに拡大したくなったり、逆に盛り下がっているところを維持させようと
頑張りたくなってしまう。
特にコミュニティマーケティングなどを画策すると、企業ばかりが主体になってしまい、とりあえずコミュニティ作って行こう、というような事例も。

一番避けたいのは運営側の疲弊と、メンバーが求めてないものを打ち出してしまうこと。
ただの人の集まりのようにぼんやりとした共同体になってしまう事が起きると、メンバーの熱量も下がってしまうし、余計に運営の心理的にも調整業務などの観点からつらくなってしまう。

これに対しては常にそのコミュニティのコアな部分に立ち帰れる瞬間を作る事だし、新たなメンバーが入る時の「入り口」の設計と「出口」を設ける事が非常に重要になる。
長田さん運営のWaseiサロンでは、「これからの働くを考える」という共創方のもので、価値観をきちんと知ってもらい、それにお互い共感できる人のみご一緒する。

そのほかに、一緒に運営側と考える、企画するという形もある。
よりコアな価値観に立ち返り、共創することで、メンバーの求めているものと運営する人が作りたいものがすり合わされ、運営側ばかりがあくせく動いて疲弊してしまったり、どんどんん本質から逸れてしまうことを防げる。

常にそもそもなぜ僕らは集まっているのか?ここで何ができるのか?何がしたいのか?を共に考えると共に、内側と外側に反射、発信させ続けよう。
その文化醸成も、一朝一夕ではなし得ない。
「焦らない」長田さんの一言に集約されてました。

まとめ:オンラン、オフラインならではのコミュニケーションの性質に自覚的でありながら、共に本質を深めて行こう。

「コミュニティとは生き物」よく言われる話だ。つまり、掴み所がない。
コミュニティマネジャーは、非常に多様な要素を含んだ高度な職業だと僕は思う。
その定性的なスキルを、掴み所のない、個々人の領域によって違う、これまた定性的な物に当て嵌める物なので、1+1=2のようには一筋縄では行かない。つまり絶対的な解などない。

それでもなお、前線を走るコミュニティのみんなで共に「考える」このプロセスに意味があるのだと思う。

特に具体例を集積すると、バラバラな中にも似通った部分が見えてくる。
それこそが「本質」に近い暗黙知であり、それをみんなで共有し、また自分の持ち場に合わせて、形を変えて実験的に活かしていく。

そしてまたその結果を持ちよる。
そういう意味で、コミュニティマネジャーのコミュニティの意味って本当に大きいよね。

会のなかで、なぜコミュニティをやっているのか?という問いに対し、
コットンさんが「いろんな人が生きるには、いろんな居場所が必要」というようなお話をしていた。非常に共感。
誰かが勝ち、負ける資本主義的なものの限界が見えているからこそ、 
共創する居場所としてこれからもテーマや人を変え、「誰かの居場所を作る人の居場所」の火種を共に育てたいなぁと、思うのでした。

追記:でぐみうさんのグラレコを載せます!よりイベレポっぽくなるように。

コミュニティ談義イベントをよりまとめてくださるでぐみうさんのグラレコを追記します!まとまって見易くて控えめに言って神。女神...
僕では拾ってまとめる能力に限界があるので、よりイベレポとして役立ちますように。

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