自らによる、自らに送られし問い。ワークショップ参加録

コミュニティに関する対話の場「コミュニティのカレッジ」に参加して数ヶ月が経った。
初期よりはなかなか仕事が忙しくなり参加が叶わないこともあるが、月額5000円というそれなりの本気度がある人たちが集うため、良質な対話の機会となっている。

昨日はGreenz のYOSHさんが登場し、「問いのワークショップ」なるものを開催してくれた。
それがなかなか良かったので、こうして筆に残す。

前提、答えよりもどんな問いを置くか

前提、「答え」の意味は薄れてきているように思える。
社会が発展してきつつもVUCAの時代なんて言われる時代、答えはすぐに陳腐化するし、前提がひっくり返るので、あまり意味をなさなくなってきた。

それよりも個人や社会がどのような問い≒テーマを設定し、一つ一つの事象を吟味するか。
さすれば変化に動じず、過去の答えに固執せずに波に立ち向かえるんじゃないか。

直近キャリア系の仕事をしている友達と話した時に、アプリケーションとOSの話ということとも通づる。
小手先のアプリのようなスキルではなく、思考のオペレーションシステムがいかに構築されているか、ということ。

そんなことをうっすら感じ始めていた折に上記のようなイベントがあったので、いいかもと思い参加してみた。

コミュニティといえどもひろし。マインドマップで切り口を考える

まずは事前ワークとして、コミュニティをキーワード起点にしたマインドマップを作る。
混在している記憶や体験、感じていることが芋づる式に浮き彫りになってきた。
(もしみたければご自由にどうぞ)

https://miro.com/app/board/uXjVPYNXJ3c=/?share_link_id=64025295171

それから、もやもやすることも2つ3つ記す。
(3分前から爆速でやり始めた笑)

モヤモヤとは、その人の中にある譲れないものの裏返し。

次に、モヤモヤのシェアをやった。NVC(Nonviolent Communication)の方法をベースにしたもの。
「エンパシーサークル」と呼ばれるそうだ。
まずはもやりテーマのシェアを3分ほどで吐き出す。
そこに対して、聞き手は傾聴し、その後にその人の感情はこれではないか?とリストにある中から直感でキーワードを選定。

画像はNVC JAPANのサイトよりお借りしました。
オフラインでやる場合はこういうふうにサークルにするらしい。

聞き手はそれを「キーワードのみ」シェアする。
例えば僕の場合は、不安(apprehension)のジャンルの中の「心配」としあわせ(joy)の中の「ワクワク」をもらった。
この時、シェアするのは一人当たり10秒ほどそれぞれ間を開ける。この間がよい。意識の範疇外から豆鉄砲を喰らい、そこに対して間があることで一度咀嚼する。

それから、キーワードをもとに感じたことを話し手が話す。

次に、その人の裏にある、満たされていないニーズ=大事にしたいこと はこれではないか?というものを聞き手は再度リストから探して選び、またキーワードを送る。

僕に関しては、誰からも干渉されず決定する力(Autonomy)からFreedom/自由と、自分を大事にすること(Sense of Self)の中からSelf-Realization /自分を知るの2語をいただいた。

この時はひとつ前のワークとは違って望めば理由を聞いてみても良くて、やっぱり感じたことは聞いてみたいので色々と感じたことを共有してもらった。(アドバイスとかではないことが大事)

そこから自らの問いへ昇華していく

関心領域と、願いを言語化していく。
自分は「美しさ」x「常に変化と新陳代謝を自己の中に持っていたい」というもの。

そして、探究的な問いと、リフレクションとしての「座右の問い」を定義する。(本当は送りあうらしいが、今回は時間の都合で自分で設定!)

探求したい問い(スタディ系)

Q美しさとは、強さであり、引力ではないか?何に、いかに宿るのだろうか?
最近は「粋」という概念に興味関心が出ている。
時に合理性を崩しにいくことにこそその人のこだわりや美学が宿るのだろうと思い。

Q今自分の中にいる人格は何人、何者?
現代は個人ではなく分人の時代と呼ばれているが、自分は統合されていることが善とは思わない。むしろ別れて仮面をつけることこそやアンビバレンスを保つことこそが「自分を楽しむ」ことだと思っている。
ただしそのイニシアチブは自分で持つべきなので、把握している必要があるんだろうな。

Qロジカルな思考と、放棄したエモーショナルな感覚、同居できるのだろう?
自分は知らないことを知りたい。知らない、わからないことがあれば構造把握したい。という欲求を持つ。
一方で全てを知ってしまうことは無粋だと思う。急にゴールが見えてくることでウサギと亀で言うウサギのように怠け出すサガなので、ただ身を任せて感じるがままに感じる、ということも大事にしたい。

●座右の問い(リフレクション系)

Q自分の中に理解不能性を宿しているか?

玉ねぎの皮のように何層にもなっている自己の深淵に向かっていきつつも、一方でそれは終わりがなく内層の最下層には泉のようなものがあり、滾滾と新たな自己が沸き起こる。
動的平衡が超速にて起こっているような、そんな状態にありたいという願いにも近い問いが自らにより、自らに送られた。

他の人の問いを生み出していくプロセスを見るのもまた楽しく、2時間でここまで自分を掘り下げられた、内的刺激に溢れた良きワークショップでした。

追記:ひとばん寝かせて

「センスオブワンダーの内包」

というちょいと綺麗な言葉に纏まりました。

Twitterもやってるよ

お読みくださりありがとうございました。
普段よくやるスタイルがまずはあぶくのように思いたったことを解像度荒くてもTweetし、それを展開・掘り下げするスタイルで思考の整理としてnoteに記す。

ただ、鼻水をかんでぺいっと捨てて、ときどきゴミ箱から拾い上げて広げてみるような行為に近いので、もちろん拾わないものもある。

ので普段の思考遊びのダダ漏れを見たければTwitterで絡んでください。
ではまた。


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