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上演台本は〇〇代わりに書かれた!?!?【『ジゼル』作品解剖①】

こんにちは。
また少し日が空いてしまいました💦

書きたいことはいっぱいあるんだけど、なかなかまとまらず…
マイペースに少しずつ書き進めていきます。


さて、今日はジゼルの作品解剖をしていきたいと思います。
ラ・シルフィードの時は、あらすじとか書いたんだけど、あらすじはもうすでに分かりやすく書いてくださっている方がたくさんいるので、そちらを参照させていただき、
私はその方々が書いていない内容を書いていこうかなと思ってます。

今回触れていくのは、『ジゼル』の着想から初演を迎えるまでのお話
・上演台本を書いた人はどんな人?
・なぜ初演の主役はカルロッタ・グリジが選ばれた?
などに触れていきます。



それではスタート!!


バレエ版『ジゼル』の発案

発案者について


ジゼルの上演台本を書いた人は
テオフィル・ゴーティエ
という人です。

〈テオフィル・ゴーティエ https://ja.wikipedia.org/wiki/テオフィル・ゴーティエ より引用〉


有名なロマン主義の時代の詩人で、
評論家としても活躍していました。
ロマン主義時代の文化を牽引したひとりです。


台本を書くことで愛を伝えたかった


何を隠そう、発案者のテオフィル・ゴーティエは
カルロッタ・グリジ
が大好きだったのです。

グリジはロマンティックバレエを代表するダンサーの1人で、
『パ・ド・カトル』の初演にも出演しました。


ゴーティエは、最初は一ファンとして、
そのうち1人の女性として、グリジのことを愛するようになっていきました。


グリジへの愛をバレエの上演台本を書くことでなんとか形にしたい
というゴーティエの熱い気持ちが、『ジゼル』の元々の始まりです。

いわば、
ラブレター
とも言えるでしょう。


ジゼルの原作になった『ドイツ論』との出会い


先述した通り、
グリジえへの愛を伝えるためにバレエの上演台本を書くことを決意したゴーティエ。

そんな時に出会ったのが、
ハインリヒ・ハイネ著 『ドイツ論』
という本。
1835年にフランスで出版されたこの本は、
後にドイツで『精霊ものがたり』と名前を変え出版されました。


精霊という名前が出てくると、
なんだかジゼルっぽい雰囲気が出てくる気がしますね〜

それもそのはず、
この『ドイツ論』という本の中に、
Willis  ウィリ(ドイツ語だとヴィリ)
と呼ばれる踊り子たちの幽霊伝説がもとになっているのです。

その幽霊伝説とは、
結婚を目前に亡くなった踊り子の幽霊が、
夜中に地上に上がってきて、踊り、
そして、出くわした男性を夜通しで踊り狂わせ、死に誘う
というもの。
だいぶ抜粋しましたが、ジゼルの2幕の情景そのものですよね??

これを見た、ゴーティエは、この幽霊伝説が
ロマンティック主義にピッタリだと思い、
作者のハインリヒ・ハイネにすぐさま手紙を書いた。
『ドイツ論』を原作のバレエを、グリジ主演で上演する構想がゴーティエの頭の中で出来上がり始めました。



まとめ

ジゼルの発案時の話を今日はまとめてみました。
次回は、ジゼルの上演台本が出来上がっていく話を書いてみようかと思ってます!


今回も最後まで読んでいただいきありがとうございました!

それではまた〜

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