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女性三人組で天下統一 今更三国志11(21)

これは、シミュレーションゲーム『三国志11』のプレイ記録です
前回の記録と登場人物紹介、そして縛りなど

人物紹介バーと4

縛り内容


1 孫尚香、三人娘に下る(274年12月)

 たびたび散発的に我が軍を攻めにきていた強敵・孫尚香。ですが、孫尚香の領地はすでに荊州と廬江を残すだけとなりました。
 荊州は我が軍の南蛮部隊を中心に、呂蒙・徐庶などの知将を加えた討伐軍により、もはや風前の灯火。そして、ついに地味に生き残っていた孫氏にまで攻撃されていた廬江にも、ついに我が軍の討伐隊を編成することとなりました。柴桑から進発した船団と、確保したばかりの寿春からの騎馬隊がメインです。龐徳などの強力な武将もいましたが、274年5月、無事廬江を攻略。
 そして荊州征伐隊も、長沙などでは多数の防衛施設と孫尚香の武力に苦労させられましたが、274年12月に最後の年桂陽を制圧。ゲーム開始時から強力なライバルとして君臨し続けた孫尚香の勢力は、ここに我が軍の軍門に降ることになりました。

孫尚香 ついに負けちゃったわねー。一対一なら今でも負ける気がしないんだけどなー。
杜氏  尚香ちゃんは仲間になってくれるんだよね?
孫尚香 ま、仕方ないわ。伯符兄上もいるんでしょ?

 というわけで、弓術に秀でた孫尚香を配下に。顔グラフィックもなんかかわいいので、もっと早く仲間にすりゃよかったと後悔しています。


2 じわじわと蔡琰を攻め、そして渡河(277年1月)

 中原における激戦区・陳留を攻め続ける蔡琰。これに対し、我が軍は陳留を防衛しつつ、蔡琰領のうち兵力を割いていない地域を攻めることで、蔡琰の力をそぎにかかります。
 そういうわけで、寿春を確保した上で、そこから北に向かって進軍。272年に小沛、273年に下邳、そしてついに274年9月に濮陽を攻略。これによって、蔡琰が陳留を攻めるには、黄河を渡り港を確保することが必要になりました。よしよし。

 それでもまだ攻め続ける蔡琰。川岸にある濮陽領の生産施設を攻撃しつつ、陳留攻略戦を続けます。なんせ関羽だの夏侯淵だのの強力な武将を従えてるので、ガチでやりあうとなかなか大変です。
 こちらは、港を占拠されてもそこからの上陸を防ぐという観点から防衛を続けます。こういうとき、弩兵適正の高い武将かほんとありがたい。張任や李厳などが乱射することで敵部隊は結構な数を減らしていきます。

 そして275年、ついに北海を攻略。これで蔡琰軍は黄河より北側に限定されることになりました。


 これを機に、蔡琰の攻略目標が陳留から北海に変わった模様。陳留をめぐる激戦は一旦収まることとなりました。さて、今後どうするか、なのですが。

李氏  手数な襄平を攻めましょう。黄河を挟んで正面からやりあうと、また関羽殿らと争うことになるもの。
関銀屏 賛成だ。
杜氏  せっかくだから、反対側からも攻め込まない?
関銀屏 どういうことだ?
杜氏  洛陽から部隊を出して、解県港を経由して晋陽を攻めるの。行軍に時間がかかるけど、今のわたしたちなら物資も豊富だもん。
李氏  なるほど。そうすれば、蔡琰軍を東西から挟撃できるわね。

というわけで、物量にものを言わせた二正面作戦に出ることにしました。
 まず、孫策・周瑜の断金コンビを盧江から出発させます。襄平まで大変長い時間がかかりますが、その間に前線の配置などを考えます。そして新たに獲得した北海は蔡琰の標的になっていることを踏まえ、襄平攻略隊は北海からではなくその南の下邳から出すことにしました。
 一方、晋陽攻めの部隊を洛陽に集結させます。こちらは荊州攻略を達成した南蛮部隊に徐庶や司馬昭などの知将を加えた編成です。こちらも進軍に大変な時間がかかります。

 そして、まずは手薄だった襄平を攻略。これで蔡琰は南からだけでなく北からね攻められる形になりました。さらに277年1月、隘路に苦戦しながらもなんとか晋陽を攻略。蔡琰の包囲網が完成しました。蔡琰打倒まであと一歩です。


3 同盟の破棄は向こうから(277年2月)

 277年2月、建業を拠点として地味に生き残っている孫氏から、使者がやってきました。内容は同盟の破棄。まあ、我々と同盟している限り、孫氏はどこにも攻めいることはできなくなってしまったので、それは当然といえば当然です。

 そして翌月、早速盧江に向けて進軍する部隊が。
 相手は名将・陸遜とその息子陸抗を中心としており、海戦に秀でた武将が多いのが特徴。そんな相手に川で正面からやりあうのは避けたい。というわけで、港攻略のために近づいてきた相手を川岸から弩で迎撃することにします。
 この時活躍したのが、比較的新しく仲間になった関平・甘寧・龐統の三人。特技「補佐」を持つ関平は、通常は親愛関係にある対象のみに発生する支援攻撃を、相手が誰であっても発生させます。いやこれに何度救われたか。そして孫尚香を打倒した時に獲得した甘寧は、その武力と兵器適正Sを生かして兵器の火矢で相手を薙ぎ払ってくれました。さらに、軍師・鍾会の知力が成長したことで獲得できた龐統は、持ち前の知力で相手に「偽報」をかけて追い払います。いや頼りになるわー。

 こうして、たびたびやってくる孫氏の攻撃を追い払い、相手の兵力を削ぎ落としたところで反撃に出ます。襄平の攻略を済ませた孫策・周瑜、そして羊祜や杜預といった海戦に耐えうる人材を呼び戻し、甘寧らとともに建業を一気に攻めます。
 これでちょっと失敗だったのが、官職の低い人材ばかりになってしまい、相手の兵数に対して不利になることが多かったこと。このせいでスムーズな攻略とはいかなかったものの、それでも一度建業を抑えれば、あとは地力の差で圧倒できます。
 こうして、278年10月、孫氏軍は我が軍に降ることになりました。
 大陸統一まであと一歩です。


4 蔡琰との決着(278年11月)

 そして河北。襄平と晋陽を確保し、南と北、さらには北側は東西から挟撃可能になった我が軍は、あとは凡ミスがなければ蔡琰を下すのは時間の問題です。

 まずは襄平から北平に進軍しようと思ったのですが、意外に蔡琰は北平の守りを重視しているようで、かなり兵力を北平に配置しました。しかも、ここにはあの「虚実」という凶悪な特技をもつ曹操が。うむ、どうしよう。
 そうこうしていると、向こうから攻めてきました。騎馬隊を中心とする襄平の武将たちは、必ずしも防衛戦に向いているわけではありません。ですが強力な武力を持つものが多く、防衛そのものはなんとか。北平が攻略対象として一番かなあと思っていたのですが、ちょっと保留します。

 ただ、北平に兵力を向けたせいか、蔡琰の北海攻略拠点である都市・平原にはねそこまで多くの兵力がいない気がします。よし、北海を攻めて調子に乗ってる連中を叩いて平原を奪い取ろう。
 というわけで、海戦に秀でた武将のうち江東に配置していない呂蒙などを中心に、平原の高唐港を占拠することにします。相手も攻めに出ていて前がかりになっていたこともあり、防衛は手薄。港を確保したら、姜維・鄧艾・鍾会といった我が軍の主力を出し、一気に平原を奪い取ります。

 そして、次に平原の北にある南皮、そして平原の西にある大都市・鄴の攻略にかかります。
 南皮は我が軍の精鋭である姜維・鄧艾・鍾会らがいれば特に問題ないのですが、苦労したのは鄴。平原から孤立させて物資の授受をできなくさせての攻略を図ったのですが、まあなんというか、関羽の存在そのものが何よりの問題。祝融と花鬘という武力を誇る武将が二人がかりでも倒し切ることができません。しかもこの都市には錦馬超までが控えており、本当に難儀でした。馬超が陳留からの部隊を迎撃するために水軍を率いることになっていたのが、我々にとっては結果的に有利でした。

 これと並行して、北方で襄平から北平を攻略します。こちらも、攻めてきたところをカウンターにしたため少し楽になりました。特技「虚実」を持つ曹操には何度もやられましたが、一方こちらには「疾走」をもつ曹彰と呂玲綺で対応。逆に曹操を混乱させることに成功します。

 こうして、蔡琰の領土は薊を残すのみとなりました。
 あとは掃討戦。最後の戦いなので、姜維・鍾会・鄧艾・王濬など、最初からずっと我が軍を支えてくれた武将たちにお願いすることに。無論、負ける要素はありません。
 こうして278年12月。三人娘は大陸を統一することとなりました。


5 後記、というほどのものでもないけれど

杜氏  いやー長かったねー。
関銀屏 まさかゲーム内で28年もかかるとはな。
李氏  蔡琰軍があれだけの物量で陳留を攻めてきたことが大きかったわね。あれでかなり苦労させられたもの。
関銀屏 このゲームで中盤以降にあれだけ防衛戦を戦ったのは初めてかもしれんな。
杜氏  配下武将の数を制限していたことが大きかったのかな。
李氏  それはあるでしょうね。でも、後半に入ると、そこまで人数制限を辛く感じることはなかったわ。背後を気にせずによくなると、人員を前線に配置することができるから。
杜氏  ところで、銀屏ちゃんは結婚したんだっけ?
関銀屏 費禕どのと婚姻関係を結ばせていただいた。何か問題でもあるのか?
杜氏  いやいやいや、何もないよ。うんうんそかそか。序盤は費禕さんのおかげで兵装に苦労しなかったなあ。ありがたかったなあ。
李氏  そういえば、杜氏は配下にしてみたかった人とかはいる?
杜氏  そうだなあ。陸抗さんとか、三国志後半から晋にかけての人はなかなか出会う機会なかったからなー。仲間になってみたかったな。
関銀屏 まあ、序盤で姜維どのや鄧艾どの、鍾会どのらを得たことは、そういう意味でもよかったと言えるな。
杜氏  うん。これまで、ああいう人と出会う前にゲーム終わっちゃったことが多かったからねー。今回はそれがうれしかったな。
李氏  結婚もできたしね。
杜氏  いやいやいや、それはまた別の話だって。


 というわけで、長くかかってしまいましたが、無事ゲームクリアとなりました。
 姜維という武将は、三国志を読んでいて気に掛かる人物の一人でした。好き嫌いという意味では、呂布や孫策や周瑜のほうが華々しいし、しかも欠点も明確で好きなのですが(周瑜は欠点らしい欠点が見当たらないけど)、姜維はその置かれた状況と人生を考えてしまう武将なのです。幸せだったのだろうかとか、どうすれば彼にとっていい状況になったんだろうとか、そういうことを。
 史実をベースにするなら、三国志演義の記述は過大評価だとか、それは確かにそうだろうと思うのですが、そういう話にはあまり興味が持てない。また、蜀の存亡に関する彼が行ったことの評価も、実はそこまで興味はない。結果だけ見ればそこまで積極的に評価できないのも当然だと思うし。
 けれども、当時の状況で彼が一人の人間として、そして一人の家臣として、何を考えていたのかは気になります。蜀に降った経緯や自身の最期を考えても、報われた人生といっていいのだろうかと考えてしまいます。
 また、純粋に物語の解釈としても、三国志演義には「恩人かつ師である諸葛亮と国のために、全身全霊をかけて努力する」という姿で描かれていますが、それをよしとする道徳観は彼に取って幸福をもたらしたと言えるのか。
 姜維とは、私にとって、ついそういうことを考えさせてしまう人物でした。

 そういう人物だからこそ、せめてゲームの中では活躍させてあげたいと思うのです。彼の記録や物語を目一杯好意的に捉えたデータを存分に生かして、その能力に見合うだけの活躍の機会と名誉を、せめてゲームという架空の空間では与えてあげたい。正史の注釈によれば大層質素で学を好んだ人物のようですが、せめてゲーム内ではそこを評価をして、おそらく彼が得ることに苦労したであろう人脈や人望を彼に与えてあげたい。そう思います。
 実在の人物や、他に出典のある人物とゲームで出会うと、私はついそういうことを考えてしまいます。


 ともあれ、杜氏・李氏・関銀屏の三人を主役とする三国志11のゲーム記録は、これでおしまいです。
 もし読んでくれた人がいたのなら、御礼申し上げます。

 

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