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女性三人組で天下統一 今更三国志11(16)

これは、シミュレーションゲーム『三国志11』のプレイ記録です
前回の記録と登場人物紹介、そして縛りなど

人物紹介バーと4

縛り内容


1 宛の制圧と江州防衛戦(263年1月〜)

 飛将軍・呂布の娘、呂玲綺を敵方から寝返らせ、我が軍の宛攻略はあと一息。
 ちなみに、主な攻略部隊は宛の西側に位置する上庸からの部隊。長安からも援軍を出しており、羅憲率いる兵器・木獣で途中の関を占拠しつつ進軍していたのですが、どうやら上庸発の部隊だけでなんとかなりそうです。羅憲は姜維や鍾会とともに。引き続き洛陽を攻める準備として、長安と洛陽を隔てる函谷関を制圧します。

 そして、263年1月。宛は我が軍の手に落ちました。貂蝉の勢力はこれで滅亡。
 これに伴い、鄧芝・張郃・鄧賢・貂蝉の4名を配下に。統率と武力がともに90を超える張郃と、特技「傾国」を持つ貂蝉の加入は大きいです。
 一方で、全武将トップの武力100を誇る呂布は、登用制限に引っ掛かるため解放。これがまた敵に回るとか悪夢でしかないのですが、そういう縛りでゲームしてるんで仕方ありません。
 実はこの呂布、三国志で最も好きな人物の一人なのですが、ゲームだとちょっと強すぎて。序盤の苦境を呂布の武力で乗り越えるとかいう展開なら燃えるんですけどね。


 そして262年2月。孫尚香との停戦期間が終わりました。
 そしてそして。

伝令  申し上げます。永安から6部隊が出陣。率いるのは趙雲、甘寧、厳顔などです。
杜氏  うっわ早い。待ってましたと言わんばかりだねー。
李氏  ま、予想の範囲内だけどね。
関銀屏 防衛施設は立ててある。あとは孟獲や張松に任せよう。

 早速、孫尚香軍が攻めてきました。孫尚香軍は、武力97かつ特技「洞察」のため計略が効かない趙雲、同じく武力90超えの甘寧など、武力方面で強力な武将を多く抱えていて厄介です。その一方、知性派が少ないのが弱点でした。そのため、張松と徐庶を江州防衛のために派遣し、計略で対抗しようと思ったのですが。

伝令  申し上げます。厳顔隊の副将としてかの鳳雛・龐統が付き従っているとの由。
李氏  あら、いつの間に…。
杜氏  また龐統さんと戦うのかあ。厳しいなああ。
関銀屏 孟獲どのや花鬘どのが計略の餌食にならないよう、副将にはよく言っておこう。

 そう、三国志を代表する、知力97の龐統が孫尚香に仕えていたのです。考えた末に、諸葛恪と郭氏を江州に派遣。
 というのも、もともと計略で対抗するだけでなく、街道が直線になっているため火球での防衛も想定していたのですが、龐統の参戦により火攻めの頻度がどうやら上がりそう。そのため、弩隊を率いることができる人物がもう一人必要との判断です。

 さて、敵将の第一陣は甘寧。正面からガチると厄介な上、武力型としては高い知力が特徴の名将です。

徐庶  それでも、某の知力が上だ。よし、森に入ってきた甘寧隊を撹乱せよ。
甘寧  うわっ、野郎ども、何を血迷っている、敵は向こうだ。
孟獲  ぐわっはっはっはっはっ。森に引き込めば特技「乱戦」を持つわしが有利。混乱した甘寧を攻め立てよ。
祝融  ようし、野郎ども、ダンナに続くよっ。

 というわけで、南蛮の荒くれ者が混乱した元海賊を囲んでタコ殴り。孟獲・祝融・花鬘が血縁により支援攻撃を発生させまくり、強敵・甘寧を自由にさせません。よしよしいいぞ。


2 洛陽攻略計画(263年4月)

 一方で長安。宛を制圧した我が軍は、朝廷からついに大将軍の官位を得て、可及的速やかに洛陽の攻略に乗り出そうとします。
 ですが、

伝令  申し上げます。長安にてイナゴが大量発生。兵糧が食われております。
杜氏  またあああああ?
関銀屏 どうも、攻めようとしているタイミングで自然災害が発生するな…。

 まあ、ある程度の都市を支配下に置いているこの段階では、金と兵糧が不足するということはそうそう起こりません。それでも、米が減っているはの確か。念のため、大急ぎで近隣から兵糧を輸送。

 この災害で、部隊出陣のタイミングが遅れたようで、洛陽戦線はやや停滞。姜維と鍾会は気力を回復させるために関や港で訓練しており、夏侯覇・文鴦・鄧忠などの若手(?)が洛陽に陣取る夏侯令女と戦います。ですが、関を取ったり取られたりという展開が続いてしまい、状況は一進一退。蔡琰が洛陽制圧に向かって動かないのが救いです。
 ここに至り、港で訓練していた姜維と鍾会、そして鄧艾を出し、函谷関から洛陽に攻め入ります。やや遅れて、王濬の兵器隊も出発。関の取り合いと野戦で疲弊した夏侯令女を制圧にかかります。
 対する夏侯令女は、文醜・顔良・太史慈といった武力90オーバーの猛将で応戦。なんと鄧艾が捕虜にされるという危機に見舞われましたが、味方の総攻撃で鄧艾を解放。あとは攻城戦のみとなりました。

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 こうなればあとは王濬の火炎放射で仕上げ。263年9月に、洛陽制圧が完了しました。

 滅亡と相成った夏侯令女の配下から、辛憲英・甄氏・陸鬱生・張春華・杜預の5名を登用。優秀な人材が多く迷いましたが、女性武将を中心に配下に加えることにしました。
 ただ、杜預だけは欲しかったので最優先。魏というよりは晋の武将ですが、武力以外の能力値が全て80を超える有能な人材です。脳筋系の副将として、または単体の兵器隊として活躍していただきたい。


3 第二次江州防衛戦、そして永安攻略(263年10月〜)

 一方で江州。永安からやってきた孫尚香の軍勢は、ある程度撃退することができました。ですが、おそらくは荊州方面からの補給を得て、再度永安から孫尚香軍の部隊がやってきます。またしても甘寧とか厳顔とか。つよい人来なくていいよもう。

 防衛施設はだいぶ壊されてしまったのですが、陣などの一部を補修するにとどめ、土塁を再び整備して相手の侵入路を限定することはやめました。代わりに、火球を転がして火攻め、あるいは森に誘導して相手の戦法を封じる作戦でいきます。森に入れば南蛮部隊が得意とする戟兵戦法が生きるだけでなく、孟獲の「乱戦」が効いてくるし。
 江州防衛はコツを掴んだこともあり、比較的楽な展開となりました。

 そうして、264年3月。

徐庶  む、永安に趙雲どのがおらぬ。どういうことだ。
張松  一旦江州攻略を諦め、揚州に目を向け始めているのかもしれませんな。
徐庶  ふむ。好機ですな。
張松  御意。しかも江州での戦いの結果として、孫尚香軍の永安の兵力は減少しております。返り討ちにする好機です。攻めに転じましょうぞ。
祝融  あたしも賛成だね。もう守るだけの戦いには飽きてきたよ。ぱーっと攻めようじゃないか。

関銀屏 よし。それでは江州に武将を派遣しよう。他の都市からの挟撃ができないので、戦力は多い方がいい。

 こうして、停戦によって長らく防衛に徹していた江州から、強敵・孫尚香軍に対して打って出ることになりました。永安攻略部隊は次の通りです。

祝融(戟7000)、孟獲・王異(戟7000)
花鬘・張松(槍7000)・諸葛恪・郭氏(弩8000)
徐庶(槍5000)、呂玲綺・蒯越(馬5000)、秦良玉(馬5000)

 武勇に長けた南蛮部隊を中心に、諸葛恪・徐庶の計略隊。それに秦良玉と新たに加わった呂玲綺の騎馬隊を加えた形です。


 ここで、264年の6月に、洛陽にてまた新たな人材が。

郝昭  人材を求めていると聞き、まかりこしました。
杜氏  カクショウ…ってあの郝昭さん???
李氏  これは願ってもいない人が来てくれたわ。

 諸葛亮の攻撃から陳倉を守り抜いた名将です。統率89はさすが。もちろん召し抱え、早速永安攻略の援軍として送り込みました。実は江州には兵器隊に適任な人材がおらず、誰を派遣しようか迷っていたところだったのです。

 そして264年10月。その郝昭率いる木獣による火炎放射で、永安は陥落。三人娘軍は荊州方面への橋頭堡を確保することになりました。


 この永安獲得により、献帝から大司馬の位を得て、さらに全勢力中で所有都市がトップになりました。どんどん勢力が大きくなります。
 とはいえ、孫尚香軍にはまだ強力な武将がいます。さらに蔡琰が勢力を拡大しつつあります。油断するとやられるので注意しないと。


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